個人伝道

クライスト・フォーザ・ネイションズ日本校 アジアキリスト聖書学院 学院長
札幌クリスチャングループ牧師 ロドルフォ・ガルサ

1497年に日本へ初めての宣教師たちが訪れました。彼らはキリストへの信仰のゆえに、長崎の丘で十字架にかけられました。その中の一人は、私が住んでいたメキシコのプエブラ市で生まれたフェリペ・デ・ヘススといいます。昨年、アジアキリスト聖書学院の15人の日本人学生とスタッフが、夏のアウトリーチで、プエブラに行きました。フェリペ・デ・ヘススの死の500年後に日本人がプエブラの通りに出て、福音を逆輸出したのです。彼らの働きを通して、多くの人々が泣きながらイエス様のもとに来ました。それを見て私の心は喜び、主の驚くべきわざを見ることができました。神は日本の水に投げられたパンを、何年もたって、プエブラにもどしてくださったのです。(伝道者の書11:1)

メキシコは今、大いなるリバイバルを経験しています。日本の伝道とメキシコの伝道において何か違いがあるでしょうか。答えはイエスでありノーです。違うというのはメキシコにおいて伝道は聖霊の主権の元において効果的になされており人々の心が開かれ、奇跡的な御わざが起こっている事です。

同じというのはメキシコにおいてもかっては日本と同じように福音に対してかたくなな不毛の地でした。たとえ文化的にカトリックの土台があったとしても福音的なキリストを信じる信仰とは程遠いものでした。それゆえ私は主がメキシコにおいてなされた主の御わざを、日本においてもなしてくださると私は確信しています。

個人伝道というのは、イエス様の証人となるように全てのクリスチャンに与えられた責任です。(マタイ28:19ー20、 Iコリント9:16ー17)神の御国がこの世において打ち建てられるのは、我々を通してです。ですから、キリストのからだの一人一人のメンバーが、周りにいる人々に救いのメッセージを伝えていかなければなりません。

福音を分かち合うために次の3つの基本的な武器があります

A,個人的な証し B、みことば C、聖霊

これら三つの基本的な武器を知る事によって、どんなクリスチャンでも十分に福音を分かち合う備えを受ける事ができるでしょう。

 

A、個人的な証し

それぞれのクリスチャンは伝道の為に有効なすばらしい武器を持っています。それは個人的な証しです。たとえ職場などで伝道を禁じられたとしても、あなたの人生に起こった出来事を話す事、あなたが実らせている御霊の実をを禁じる法はありません。

証しをする時に信じる前、キリストとの出会い、その後の変えられた人生について分けて話すといいでしょう。

 

@、キリストを信じる前

すべての人に信じる前の段階があったことと思います。この事によって相手の方が分かち合う人に対して知り、時には共感し、心を開く助けになります。ペテロは罪人の漁師でありパウロはパリサイ人であり教会の迫害者でした。

 

@、どのようにしてイエスと出会ったか

我々みんながそれぞれ違った形で救われました。パウロは異邦人にもユダヤ人にも福音を語る時に何度か自分がキリストに出会った時の出来事について語りました。(使徒22:6ー16)(26:12ー18)

@、今はキリストにあってどのように変えられたか。

イエスにある者は全てが新しくされました(2コリ5:17)変えられた事実は力強いものです。サマリヤの女の証しを通じて町中が福音に触れました。(ヨハネ4:39ー42)

私たちの証しというのはたとえそれが本人にとってあまりスリリングに思えなかったとしても、それには力があり、他の人の心に触れる事でしょう。ですから私たちはいつも未信者に対して我々の証しを分かち合うべきです。しかし心に留めていていただきたい事は、証しとは単に言葉をならべる事だけではなく、私たちの人生を通じてイエスをあらわす事です。主との経験を分かち合うこと、御霊の実を実らせることまた自分を聖く保つ事です。人々は私たちの日々歩みに注目しているからです。(ヘブル12:1)

 

B、聖書はこの地上において他に例をみない神の霊感を受けた特別な書物です。(1テモテ3:16)(2ペテロ1:19ー21)みことばの霊的意味を知ることは福音を分かち合う上で大きく役に立ちます。

1、霊的食物(マタイ4:4)人々は霊的に飢え乾いています。神の御言葉は最良の霊的 食物です。

2、剣(エペソ6:17)サタンの策略に対抗する武器として必要不可欠です。固く閉ざされた心であってもこの鋭い剣によって刺し通し開くことが出来るでしょう。(ヘブル4:12)

3、真理、(ヨハネ17:17)人々は真理を必要としています。なぜなら真理が人々を解放するからです。(ヨハネ8:31、32)

4、種(ルカ8:11)種そのものには命が無いように見えても成長の条件がそろえば芽をだし、大きく実をむすびます。撒かれた種がどのように成長するかは人は知らないのです。(マルコ4:27)また神の言葉は空しく帰ってくることはありません。(イザヤ55:9ー11)

他にもたくさんの益が神の言葉にはあります。光(詩編119:105)命(6:63)、水(エペソ5:26)、癒しの力(ルカ7:7)etc。

それゆえ我々が福音を分かち合う時にはみことばを用いるべきです。

 

C,聖霊、

聖霊は、私たち以上に、福音を分かち合うことに関心を持っておられます。この方こそが、私たちを満たし、私たちを通してみことばを語る方です。(マルコ13:11 使徒の働き2:17ー38 & 4:8ー13)福音は、聖霊の力によって、伝えられていくのです。

聖霊は1)教え(ヨハネ14:26 Iヨハネ2:27)2)罪、義裁きを認めさせ(ヨハネ16:8 IIペテロ3:7ー9)5)全ての真理へ導きます(ヨハネ16:13 & 8:31ー32)また私たちがイエス様について大胆に分かち合うのを助けます。(使徒の働き4:31)

また、敵の領域へと進入していくために、異言で祈ることは、非常に重要です。(ローマ8:26、 Iコリント14:2、4) 私たちが神の御国を拡大するとき、聖霊が私たちのためにとりなしてくださるのです。

複数のチームで分かち合う時に、語っていない人は相手に聞こえない程度の異言で祈りとりなすことが出来ます。

ある時、高校生達が仲間の自転車の鍵があかなくなり困っていました。あるクリスチャンが、鍵があくように祈ってみていいですか?と聞きました。彼が祈ると、その鍵があき、そこにいた四人は祈りの力を目の当たりにして驚き、彼らの心の鍵もあいて、イエス様を信じ、告白しました。福音は、ただ言葉でだけではなく、聖霊の力をもって宣べ伝えられるのです。(Iコリント4:20)

 

具体的な個人伝道の進め方

上記の3つの武器の他に、実際的な進め方を知る事は実践の場で役に立ちます。

1、出だしの言葉

これが無ければ分かち合うべき友人と共にいても、ただ楽しく過ごして終わってしまいかねません。路傍伝道においては。まったく話しが始まりません。

「ところで○○さんは神様がいると思いますか?」こういった簡単な一言を切り出せなかったばかりに、私たちは幾度か分かち合う機会を逃していないでしょうか。

2、議論に入り込まない

議論はどろ沼の様なものです。また相手を批判するのではなく、イエス様のすばらしい恵みについて語って下さい。お腹をすかせたライオンの口から干からびた骨を無理矢理引き抜くことは難しいが、最上のステーキを与えるなら、喜んで骨を捨てることでしょう。

3、宗教の話しに入り込まない

私たちが伝えるのは、キリスト教ではなく、生ける神と関係を持つことであります。それゆえ他の宗教との比較、批判も必要が無いなら避けるべきです。

4、話しをそらされない

あいての話しに引き込まれるのではなく、福音を中心としそれないようにする。すべての質問に答える必要は必ずしもありません。私たちは疑問に答えるために召されているのではなく、イエス様を紹介するために召されています。

5、直接祈る

道端で異端宗教が手かざしをして祈っているのをたまに見かけます。信じてなくても祈られるのを拒まない人はわりといるようです。もし祈る事が出来たなら、その時に聖霊が触れてくださることと信じます。実際祈った後に心が開かれているのを何度も見ています。

ですから「あなたの祝福のために祈っていいですか」と聞いてみるといいでしょう。意外と多くの人が拒まないものです。

6、救いは感情ではなく決心です。

人々は信じたいと思ってもあれこれ考えてしまいます。また最初から信じきる人はまれです。相手の方が心を開いており救われる必要を感じているなら、告白する決心を励まして下さい。信仰という名のガソリンに火をつけるのは決心という小さな火花なのです。

7、招きをする

札幌の路傍伝道においてかなり多くの人がキリストを受け入れる祈りをしています。その理由は招きをするからです。一言「イエス様を心に迎えませんか?」と尋ねる事はわずらわしい事ではありません。

8、フォローアップ

ここではとり扱いませんが重要です。しかしながらキリストを受け入れても教会に繋がらない事は多々あると思います。しかしそれによって「伝道は無駄であった」というサタンの偽りを受け入れないように。我々はすべき事を出来る限りするだけです。

 

個人伝道の力

最近は、日本の霊的領域において、非常に大きな変化が起こってきている事を感じます。それは人々の福音に対する反応の変化だけでなくクリスチャン達が、福音を大胆に伝えるようになっている事においてもです。 札幌において聖書学校の学生達や教会のメンバーが、たえず札幌大通公園などに出ていって路傍伝道しています。また、自分の職場の同僚や学校の友人にイエス様のことを伝えています。そして多くの人々がキリストを告白するというすばらしい結果を報告をしています。

 

日本の天の窓

ある日、妻と私は日本の天が開かれるように祈っていました。すると呼び鈴がなり、ドアをあけると、保険のセールスがいました。彼女の話しを聞いたあと、私は丁重に、「もう私にはイエス様の生命保険があります」と答えました。すると、なんと彼女は泣きはじめました。私は、「大丈夫ですか」とたずねると、「この家に入ってきたときに何か特別なものを感じていたがそれが何か説明できない」と答えました。私は彼女に福音を伝え、彼女は泣きながらイエス様を主として心に受け入れました。さらにその二週間後に、別のセールスの女性が来て、同じ様に玄関に入ってから五分後に泣きはじめ、この女性もまたイエス様を心に迎えました。神は、日本において、なんらかの方法でさらに御自身をあらわしておられ、人々もますます福音と神の愛に対して心を開いてきていることを感じます。

私たちはまもなく日本に訪れようとしている大収穫のために整えられなければなりません。しかし、イエス様こそが収穫の主です。私たちはただ神に命じられたことを行っているにすぎません。この方に、全ての栄光と誉れがとこしえまであるように。アーメン。