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朝鮮併合前の朝鮮と日本の政策

日本人は朝鮮半島を自分自身のように扱い、その統治の下で大いに栄えた。

多くの人が誤解していますが日本は韓国を植民地にしたわけではありません。少なくとも、西洋諸国がしたような、理由もなしに自国の利益の為だけに他国を支配し搾取した歴史はありません。正しくは「併合」であり、出来る限り日本と同じように扱ったのです。

朝鮮は線数百年もの歴史の間中国に依存した柵封国(Tributary state)でした。貨幣経済は普及しておらず、国内の産業も乏しかったのです。

 

この写真は今日のソウルの中心部にある崇礼門(Namdaemun)の写真の比較写真です。当時のソウルには2階建ての住居というものは存在しませんでした。1894年に朝鮮旅行をしたイギリス人のイザベラ・バードは不衛生きわまりなく世界でもっとも劣悪な街と形容しました。

 

以下の2つのことは誤解されていることなので説明します。

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(1)ハングルの普及

当時の支配層は漢字を多用しており、ハングルのみで書かれた文章を下層民の文字として蔑視していました。日本が統治した後、日本が行った教育政策の中でハングルが教えられ、それによってハングル文字が普及してきました。

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(2)創氏改名(Soushi Kaimei)(英語を直訳)

それまでの朝鮮には「氏」(家族のまとまり)という概念は存在せず、血族をあらわす「姓」しかありませんでした。それで朝鮮人に家族のまとまりを現す「氏」を与えることにしました。
よく勘違いされていることですが、これは強制ではなく選択することができました。朝鮮の伝統文化である「姓」を奪ったわけではありません。血筋をあらわす姓を残したままで家族のつながりを表す「氏」を加えることを選択できるようにしたのです。

事実、日本に住む朝鮮人の中にも朝鮮式の姓を名なりながら日本の国会議員になった人もおります。

それに加えて、日本式の名前を名乗ることもでき、これは特に満州に住む朝鮮人からの要望でなされました。というのも、満州では朝鮮人は満州人や中国人に差別されていたからです。それゆえ、迫害を避けるために多くの朝鮮人が創氏改名を要望しました。朝鮮人が差別を受けないようにすることは日本が提唱していた人種差別をしない大東亜共栄圏(Greater East Asia Co-Prosperity Sphere)の理念にもマッチしていたゆえにそのような政策がなされたのです。

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