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ユダヤ人を救助した日本

1939年にアメリカを目前にヨーロッパに送り返された『セント・ルイス号』難民の悲劇の例を挙げるまでもなく当時の世界はユダヤ難民に対して冷淡でした。

第二次世界大戦当時、世界のほとんどすべての国々がユダヤ人難民に対して扉を閉ざした中でほとんど唯一日本だけが彼らを助けました。

日本は1919年のパリ講和会議にて世界で初めて「人種的差別撤廃提案」を国際連盟に提案した(※)ことからもわかるように国策として人種差別をなくすことに努め、ユダヤ難民も差別することなく助けたのです。

(※)投票の結果11対5で賛成多数でしたが、しかし議長のウッドロウ・ウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言ました。(それまではほとんど全てを多数決で決めていたにもかかわらず)

 


ナチスと対立してでも救助した

そのような中で杉原千畝(詳細)はユダヤ人難民6000人を助けましたが、それは、それ以外の数多くの人や団体、国の機関がユダヤ人を助けた出来事のひとつでした。

杉原ビザの数年前に、ソ連領オトポールで立ち往生している数百人のユダヤ人難民を樋口季一郎が保護を与えました。その時に東条英機(関東軍参謀長・終戦時に総理大臣)はその活動をに許可を与え支持しました。

それに対してナチスドイツは日本に抗議をしましたが、日本政府は公式にその訴えを退けて「日本は人種差別をしない」という意向をナイスドイツに表明しました。

「諸国民の中の正義の人」として知られる杉原千畝の行動にはすでに樋口季一郎という先人の功績があったからです。

 


 

官民一体となってユダヤ人を保護した日本

 

このことからも、一般に言われている、日本政府はユダヤ人を見殺しにしようとしたが杉原は政府に逆らってビザを発行したということが嘘だということがわかることでしょう。

それは杉原を正義とすることによって日本を悪に仕立てようとする勢力のプロパガンダなのです。 ドイツを挑発しないように表立っては助けませんでしたが、これは日本の政策だったのです。このことは、その後に杉原が勲章を受けていたことからもわかります。

日本に上陸したユダヤ人に対して最大限の便宜を与えました。民間の団体、キリスト教会などがユダヤ難民を手厚く保護しました。つまり、日本は官民一体となってユダヤ難民を助けたのです。

日本に上陸したユダヤ難民の多くは上海に逃れました。日本が支配していた上海の「日本租界」は当時世界で唯一入国ビザを必要としない場所として数万人のユダヤ難民が逃れこみ、終戦にいたるまで日本は彼らを保護してきたのです。

 


 

B)

しかしながら、そのような歴史は表立って語られることはほとんどありません。

その大きな理由は、ウオーギルトインフォメーション政策によって「日本が悪である」という歴史観を人々に植え付けているからです。

特に、樋口季一郎および当時彼の上司であった東条英機が軍人だったということも大きな理由です。

特に東条英機は終戦時の首相として戦犯としてのもっとも大きな責めを負わされました。日本がユダヤ人を助けたという歴史を掘り起こすなら、東京裁判の欺瞞に目をむけ、日本が悪であったという歴史観を根本から見直す必要が生じるがゆえに、真実の歴史が埋められてしまったのです。

また、日本とドイツが同盟国であったということによって多くの人はあまり考えもせずに日本もホロコーストに対して同罪であるという先入観を持ってしまっています。

 


C)

ナチスと敵対している国であるなら、ナチスの政策に反する行動をするのはたやすいことでしょう。

しかしナチスと同盟関係にありながらナチスの政策に同意せず、むしろ反対の行動をとるというのは、他のどの国よりもホロコーストに加担しなかったという意味で高い評価を与えられるべきなのです。