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南京大虐殺(前半):南京大虐殺という偽り

中国は日本が1937年に南京において三十万人虐殺したと主張しています。
しかし、日本軍による虐殺などなかったことは状況的に明らかです。というのも、当時の南京は日本軍が情報を遮断させれるような閉鎖された場所ではなく、外国の報道陣も大勢いた場所でした。もし虐殺が本当だったら大ニュースになっていたはずです。しかし大虐殺についてはまったくといいほど報道されておりませんでした。
東京裁判でも結局、大虐殺を見たという直接証言は得られませんでした。


理由も動機もない

多くの人が勘違いしていますが、当時、統一された中国政府が存在したわけではなく、無政府状態で分裂しており、殺しあっている状態でした。ですから、日本軍が戦略的にするべきことは、中国人の中に親日のグループをつくることでした。

ですから、日本軍が南京市民に良くしてあげる理由はあっても、悪いことをする理由はありません。ましてや虐殺など絶対あり得ません。

そのことは、日本軍が南京に入った3年後、南京を首都とする汪兆銘(おうちょうめい)の南京国民政府という親日政府が樹立したことからもわかります。

もし、大虐殺があったのなら日本と歩調を合わせた政府ができるわけがありません。このことは、日本がこの地に対して良いことをした証拠なのです。

それと同時に、それは、後に中国人による南京大虐殺が起こった証拠でもあります。彼らは日本に協力した裏切り者なのですから、虐殺の対象にされたことは不思議ではありません。

 


実際にあったのは中国人による中国人虐殺

南京大虐殺というと平和に暮らしていた中国人を突然日本軍が侵略してきて虐殺したようなイメージを多くの人が持っていますが、当時の中国は清政府(Qing dynasty)が倒れた後、無政府の内乱状態で、その状況は複雑でした。日本人による虐殺は捏造ですが、実は南京では中国人による中国人に対する虐殺事件が少なくとも四度起こっているのです。(さらに詳しく見る
特に4度目の中国共産党軍による虐殺は容赦がないものでした。
ですから、人々が持っている南京における大虐殺の記憶や写真というものは共産党による虐殺のものなのでしょう。

(四度あった南京での虐殺事件へのリンク)


解放者であった日本人

中国人による虐殺事件が何度もあったことから、南京の住民にとって日本軍は解放者でした。
それゆえ南京の住民に日本軍は歓迎されましたし、そのような写真はたくさんあります。
逆に、日本が住民を虐殺した証拠とされているほとんどが捏造であったり、別の場所で別の人による(中国人が中国人に対する)虐殺の写真であることが今日明らかにされております。


繰り返して書きます。確かに南京で大虐殺はありましたがそれは1949年に中国共産党軍が行った事件なのです。
それが捏造であることは毛沢東(Mao Zedong)は生涯一度も日本軍が行ったとされる南京大虐殺について言及していないことにも現れています。


南京大虐殺(後半):四度あった南京大虐殺に続く