7日目(6/30):終末に準備された民.

この八方ふさがりに見えるような状況の中にあっても神はご自身の計画を持っておられます。やもめの訴え(ルカ18:1-8)のように神は民の叫びを放っておられる方ではないからです。

このルカ18章の御言葉に「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」とあります。

つまりこの叫び求める信仰とは「特に終末に生きるわれわれの為のもの」なのです。

つまり、いいたいことは「歴史はあらかじめ定まっていない」という記事にあるように私たちの祈りが歴史を動かすということを知らなければなりません。

終末についてのSIHOPの活動は、まだ、ほとんどは情報提供にとどめられておりますが、主が導かれたときに祈りの声を上げるものとなるでしょう。


そして、終末における特別な油注ぎを神は準備しています。

ワシントンDCのレポート最終章」の中でも書きましたが、エリヤにとって自分はあまりにも無力で共に戦うものがいないと思えるようなときであっても、主は7000人もの軍勢を準備しておられるのです。


エリヤが直面した3年半の飢饉は終末の患難期の3年半の雛形だと思われます。

そうであるなら、エリヤがエリシャをはじめとして、エフーなどに油を注いで任命したように、敵の力に対抗する特別な油注ぎを最後の世代のもの達に準備しておられるのです。

これについては、まだ神が語り始めたばかりで、まとめるのに時間がかかりそうなので、別の機会に回したいと思います。


終末の惑わし

サタンは神の計画に先回りをして人々をだますことでしょう。

まだ、終末の患難期ではないのに、経済の破綻やファシズム体制を患難期だと思わせたり。再臨の時期が来ていないのに再臨が来たように思わしたり。そのような惑わしが起こります。

ですから、誰にもだまされないようにしなければなりません。

「しかし、終わりが来たのではありません」(マタイ24:6)という言葉を思い出すべきです。

ですから、主の再臨を待ち望むことはよいことですが、「再臨が近い」という言葉によって現状から目をそらしてしまうことがないようにしましょう。


終末論の問題点

多くの終末論は聖書解釈が出発点となっております。しかし、現状と裏の歴史を無視していては正しい解釈ができません。それは中途半端な解説となってしまうので解釈しても何をすればよいのかがわからないのです。

私がしていることは黙示録の解説ではなく、歴史と未来を黙示録に照らし合わせて解説し、進むべき方向性を定めているのです。


祈りの課題

1) 選びの民に死を恐れぬ信仰が与えられますように

2) キリストの体に終末に対するバランスの取れた理解が与えられますように。

3) その理解の為に「賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばない。」という記事にあるような過去の歴史を正しく知ることができますように。