2009年11月にこれに関する法案提出は見送られましたが参考までに報道された内容のリンクをつけておきます。
また、問題の背景を知っていただくために参考ページのリンクをつけておきます。
http://f47.aaa.livedoor.jp/~practice/001.html
(注意)ここに書かれた内容の全てやその組織に対して私が賛同しているわけではありません。
このような情報が書かれたページは他にもありますが、携帯電話からも見れるのでこれを採用しただけです。
外国人参政権の問題について理解されていない方もおられると思いますのですこし説明させていただきます。
まず、一般的なことから説明しますと
1)選挙のマニフェストにすら書かなかった「外国人参政権」についての問題を、民主党が政権をとったとたんに、強引に推し進めようとしていることに危険を感じます。
多くの国民が民主党を選んだ理由は「政治のことはわからないが、自民党にはもうたくさんなので、民主党に機会を与えてみよう」という動機で投票したと思います。ワラをもすがるつもりですがりついたワラがチャンスを得たとたんに国民の益に反する事を行うのであるなら、それは間違ったことです。
選挙権を持っているのが日本人だけにもかかわらず、ほとんどの国民の益にならない政策が実行されるとするなら、外国人に参政権が与えられた後の、政治がどのようなものになるのかを考えるとかなり心配です。
黙示録によれば世界中はひとつの政府によって統治されると書いています。これはすでに現実のものになりつつあります。各国は独立国の形態をしていますが、農産物の自由化の波を止めれなかったり、地球温暖化の原因が二酸化炭素だということが嘘だとわかっていながらもそれに則った政治をしていかねばならないのを見ると、国家の主権を超えた統治が始まっていることがわかります。
全世界をひとつの政府にする前に、各地域でブロック化が進められるでしょう。実際ヨーロッパ連合が生まれましたし、アメリカの経済的混乱に乗じて北米連合の可能性も見えております。
外国人参政権と移民に対する規制が緩和される法律が通過するなら、その波に飲まれることは目に見えています。
私は何も、日本が外国に開かれた国になることに反対しているわけではありません。それは世の流れであり、とめることはできないでしょう。しかし、戦後に日本人に罪責感を背負わせて、弱体化させられた体制の中で、正しい歴史観や国として、個人としての正しい自己像を持つことなく国が開かれることが危険だといっているのです。
たとえば私は沖縄を愛し、沖縄に重荷を負っている牧師の一人ですが、「普天間基地移設問題」に対して、今何か書こうとは思っていません。これは沖縄の問題ではなく、日本という国のあり方の根本的な問題を含んでいるからです。
宣教の名によって世界の植民地化を支持していたのはクリスチャンでした。
グ口ーバリズム犠牲者である黒人の奴隷制を支持していたのはクリスチャンでした。
アフガニスタンにおける暗闇の力の麻薬利権を守るための戦争を結果的に支持してしまったのはクリスチャンでした。
そして、今日、間違った終末観を持った「レフトビハインド・クリスチャン」によって終末の時代がどんどん悪くなっていくのが傍観されています。
日本のクリスチャンが未信者の日本人(しかも世の情勢をよく理解している人たち)から見て裏切り行為よく検証せずに信じるとするならそれは福音宣教の見地からも良くないことです。
確かに神は「悪い麦をそのままにしておきなさい」といわれましたが、「毒麦があることは知るべきである。」の教えにあるように敵のアジェンダの存在を知り、見張っている必要があるのです。
(※)ただ意外なことに福音的なクリスチャンは実際には以前からそれほど国旗には反対していませんでした。(これについての私の経験)
今日、祈りの祭典などの功績として日本の国旗に対するアレルギーは少なくなったようですが、日本としてのアイデンティティーを回復することにどのような意味があるのかをすべての人が正しく理解しているわけではないでしょう。
サタンの仕業は、個人、家庭、コミュニティー、文化、国家を破壊することを通じて自分の力を増大させようとしてきました。ですから、物事を判断する際に、それらを破壊することになるのか、建て上げることになるのかを吟味することによって判別できます。たとえば「夫婦別姓」は家庭を崩壊させるためのひとつの方策なのです(※)。
(※)もちろんそれは小さいことですが、そういったことが積み重なることによって大きな波となるのです。
もちろん、20世紀までは文化の破壊にも良い面がありました。メキシコでは一日に何百人もの人がいけにえとして殺されてきました。スペインの植民地支配の力がその間違った習慣にストップをかけました。文化を破壊する力が偶像礼拝の力を打ち砕き、悪習慣にストップをかけたのです。
そういった良い面を評価をすると同時に、この21世紀の「父の時代」においては私達は別の角度から歴史を見、判断していかねばならないのです。
それは「誰も通ったことが無い新しい道」を通ることを意味します。しかし、それは日の昇る国に与えられた役割なのです。(この事についての解説はこちら)
また別の機会に、すくなくとも12世紀ごろからの歴史について資料を準備したいと思います。それによって終末の時代における正しい価値観を共有し、私達が目を開き見張っていく重要性を共有したいからです。