1)主が与える変更・変化を思い巡らす

2011年は新しい10年の始まりです。でもこのことは昨年にも思ったことでした。特に私にとって2010年は新しい始まりを予感させるのに十分な年でした。昨年の初めに主が語られた預言は「今年は冒険の年」ということです。そして、たしかに「養子を受ける」「本の出」そしてそれが「話題を呼ぶ」というようなこれまでの生活のパターンの中では考えられなかったような冒険と主からの祈りの答えを見た年でした。

そういう意味で、昨年はこれから10年間現される主の御業を期待するのに十分な年でしたが、にもかかわらずどうして「2011年は新しい10年の始まり」なのかを尋ねもとめました。

それは、ある種の変更、変化が与えられるからです。

主は、これまでやってきたことや、たとえそれが実績のあることであってもそれをもう一度見直すように語っておられます。

なぜなら、神の計画は、私たちが思い描いたよりもさらにすばらしいものだからです。


このことは何も順調に前進しているクリスチャンだけに与えられた言葉ではありません。

神がなさる御業を新鮮に受け取っていくことは、荒野の中を歩んでいる人にとっても有効なことなのです。

(哀歌3章22節-23節3:22私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。3:23それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。」

神は、朝ごとに新しい恵みを準備しているというのは、常に新鮮な業を行ってくださる主であるということです。

驚くことにこの言葉は破壊と荒廃のただ中で語られた言葉です。

破壊と荒廃の中で力を受け取るためには、その瞬間瞬間受け取っていかねばなりません。

さっきの励ましはもう励ましとならないのです。

それは荒野の中で神の息を呼吸することを意味します。」それは新鮮なものでなければなりません。

確かに聖書には、私たちは「神の口から出るひとつひとつのレーマによって生きる」と(マタイ4章4節)に書かれています。

たとえ瀕死のようであっても荒野の中で自分が生かされているという経験をしているものは新鮮な変化を感じているということです。

荒野における、慰めの言葉は新鮮な言葉でなければこころには届かないからです。


デボーションのテーマ

1) 与えられた御言葉から思い巡らしレーマを受け取っていきましょう。

2) あなたの計画、これまでの成功を主にお返しして新たな気持ちで主を求めましょう。

3) あなたが立てていた計画や、これまでの生活パターンの中で主が変更を与えようとされていると感じることを3つあげましょう。