4 敵兵を救助せよ!
波を切って進む「雷」。その艦橋から、工藤艦長は双眼鏡を覗き込みました。その時、工藤艦長が見たものは、ボートや瓦蝶につかまり、必死に助けを求める400名以上のイギリス海兵でした。
しかし、この海域はいつ敵の潜水艦に襲われるか分からない危険地域です。全ては艦長である工藤の決断に委ねられました。
迫り来る日本海軍駆逐艦の船体は、もう漂流するフォール少尉たちの目前でした。
「もうダメだ! このままでは機銃掃射で蜂の巣にされるぞ! どうするんだよ!」 もはや絶体絶命のフォール少尉たちは、最期の瞬間を覚悟しました。
「雷」は、このまま航走すると、約2分後にはこの集団を左に見ながら通りすぎることになります。救助のために船を停止すると、いつ敵の潜水艦や航空機の襲撃を受けるかしれません。
また、傷病者を収容するとなると、その手当てで戦闘ができなくなります。しかも今回は敵の将兵です。救助収容しても、敵兵が蜂起する心配もあれば、その後、捕虜としてどこに引き渡すかも問題でした。
「雷」のマストに旗が掲揚されました。それは「救館活動中」を示す国際信号旗でした。
艦上の水兵たちは驚きました。
「敵を助けるだと?」
「艦長は正気なのか?」
「助けたとしても、敵は400名以上いるぞ……」
「助けた後、元気になったらやられるかもしれない……」
しかし、工藤艦長はある信念を貫きました。それは、工藤艦長が海軍兵学校の頃から教育された「武士道」でした。「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いはできない。それが武士道である」と。
世紀の救助劇はこうして始まりました。
まずは、甲板から縄梯子を降ろし、自力で上がれる者に手を差し仲べました。しかし、イギリス兵たちは上がってきません。日本兵は甲板からイギリス兵に向かって、「お前たち、何で上がって来ないんだ?」
と大声で問いかけました。イギリス兵たちは、病人を先にと、傷ついたものから優先的に救助するよう求めました。
しかし、イギリス兵の衰弱は予想以上にひどく、その大半が縄梯子さえ自力で上がれない状態でした。もはや彼らの生命は一刻を争う状況にありました。
そこで、工藤艦長はある決断をしました。左舷のラッタル(艦艇が岸壁係留時に使用する固定の大型階段)を降ろしたのです。
これは、たとえ友軍救助であっても使用してはいけないものだったのです。さらに警戒要員の大半を救助活動に振り向けました。
日本兵は、
「頑張れ!」
「頑張るんだ!」
「早く、頑張れ!」
と励ましながら、イギリス兵を引き上げ、重傷者を抱いてラッタルを上りました。
イギリス兵たちは皆、最後の力を振り絞り、「雷」に向かって泳いで来ました。しかし、地獄の漂流を続けて21時間、飲まず食わずで漂流して来たイギリス兵たちの体力は限界を超えていました。下士官兵の重傷者の中には、木材にしがみつき、最後の力を振り絞って、泣きながら救助を求めていました。その形相はとても哀れで、顔面は重油で真っ黒に汚染され、服には血と汚物がべっとり張り付いていました。
そして、工藤艦長は第二の大きな決断をしました。
一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」
それは日本海軍史上、極めて異例な号令でした。「最低限の人間だけ残し、後は全員救助に向かえ」という工藤艦長の決断に、全員が覚悟を決めました。
谷川航海長も、「艦長、私も救助に向かってよろしいでしょうか?」
と許可を求めました。側にいた艦長伝令も名乗り出ました。工藤艦長はうなずいて、二人を救助に向かわせました。しかし工藤艦長は、部下220名の命を預かる艦長として、気を緩めることはありませんでした。
救助の全般指揮をとる浅野大尉は、「手空き総員、ロープ、竹竿を両舷に出せ!」と号令を発し、救助はおよそ170人の日本兵によって急ピッチで進められました。
しかしイギリス兵たちは体力の限界に達していました。そこで、ロープを握る力もない者には、竹竿を降ろし、抱きつかせてボートで救助しようとしました。日本兵は甲板から声をからして「頑張れ!」と励ましました。ところが、イギリス兵は竹竿に触れた瞬間、安堵したのか力尽きて海中に沈んでいくのでした。その時、とっさに日水兵が、独断で海中に飛び込みました。
「ロープをくれ!」
そして、沈むイギリス兵を引き上げ、体にロープを巻き付けました。
「引け!」
甲板に引き上げられ、ぐったりしたイギリス兵たちに、日本兵たちは、「大丈夫か? 起きろ! 大丈夫か?」 と必死で声をかけました。救われたイギリス兵は涙ながらに、
「ありがとう、本当にありがとう……」と礼を言いました。
こういう状況にあっても、イギリス兵たちは秩序を守り、負傷者、士官、下士官、兵の順で艦に上がってきました。
フォール少尉も梯子を上り、「雷」の艦上に辿り着きました。 フォール卿はこの世紀の救助劇を、「救助の旗が揚がった時は夢かと思いました。彼らは敵である私たちを全力で助けてくれたのです」と感慨深く回想しています。
甲板上では、日本兵が油や汚物にまみれていたイギリス兵の服を脱がせ、体を真水で洗浄し、木綿の布とアルコールで優しく丁寧に拭きました。さらに、日本兵にとっても貴重な真水や食料を惜しみなく与えました。
艦内の真水は燃料を使って製造していましたが、当時は、「石油の一滴は、血の一滴」と言われていた時期だったため、燃料を制御する機関長たちは、絶えず燃料の節約に努力していました。そのため乗員は、洗面や飲料水に使う真水も、できる限り節約して使用していたのです。
日本兵たち誰もが、「やるだけのことはやった」と思いました。
その時です。
「まだ終わってはいない」
救助の様子を眺めていた工藤艦長が言いました。
艦長伝令は驚いて尋ねました。
「どういうことでしょうか」
工藤艦長は、 「左前方に舵をとれ。漂流者を全員救助する」 と命令しました。浅野大尉は工藤艦長に、 「艦長、(機関長が)このまま救助を続けると、戦闘になった時、燃料が足りなくなると言っております」
と意見を述べました。救助のための船の停発進の繰り返しは、燃料を激しく消耗してしまうからです。 しかし、工藤艦長は断固として、「構わん、漂流者は一人も見逃すな」 と言いました。
その後も工藤艦長は、たとえ遠方に一人の生存者がいても船を停止し、救助させました。そして溺れていた全てのイギリス兵を救助しました。その救は、日本の乗組員の2倍近い422名にのぼりました。
フォール卿は、この工藤艦長の行為を、次のように評価しています。
「一人二人を救うことはあっても、全員を捜そうとはしないでしょう。たとえ戦場でもフェアに戦う、困っている人がいればそれが敵であっても全力で救う、それが日本の誇り高き武士道であると認識したのです」
「諸官は勇敢に戦われた。」
「諸官は日本海軍の名誉あるゲストである。」
名誉ある422人のゲストは、翌日、ボルネオ島の港パンジェルマシンで、日本の管轄下にあるオランダ病院船に捕虜として引き渡されました。
その後、「雷」は、タンカー「あけぼの丸」から補給を受け、午前8時30分に出港しました。 「あけぼの丸」の船長は、「雷」がこの救助劇によって、燃料と食料の全てを使い果たしていたのを見て、唖然としていたといいます。