五役者の学び (01)

はじめに

五役者について知ることの意義

どうしてこれまで日本で五役者についての教えがあまり無かったのか、ひとつの大きな理由は、使徒、預言者不在であったからです。

これは本当に明らかな理由です。5つの役職があるのに3つしか使っていないのであるなら、5つを総括する教えができないのは当然のことです。

なぜ使徒がいなかったのでしょうか?いや、それ以前にそれが本当に大切なものであるなら、どうしてそれなしで、今日まで宣教活動をやってこれたのでしょうか?


とりあえず何とかやっていけることは、ある貸し家の出来事にたとえることができます。

あるボランティアのグループがある貸し家を拠点にして1ヶ月間活動していました。食事を準備する人がいたので、働く人は食べ物のことをあまり気にしていませんでしたし、実際毎日おいしい料理が提供されていました。

煮物、シチュー、ご飯、カレーなどバラエティー豊かな料理です。ところが数週間たったあるとき、料理の種類が偏っていることに気がつきました。しかし、栄養のバランスは考えられており何よりも味付けも抜群においしいのであまり深く考えることはありませんでした。しかし、ある祝福を受けたときにその家に欠けているものがあることが決定的にわかりました。

ある時、ボランティアががんばって働いていたというので野菜と焼肉用の肉をいただきました。それで、これで、久しぶりに豪勢な鉄板焼きができると喜んでいたのですが、それはかなわぬ夢であったことがそのときにわかりました。

なんと、その調理場には調理用のコンロがなく、あるのはただ炊飯器と電子レンジ、湯沸かしポットだけだったのです。

これでは鉄板焼きなどできるわけがありません。 


このエピソードからわかることは、何か大切なものが欠けていたからといって、気がつくわけではないということです。

教会に対しても同じようなものがいえます。

五役者の内2つが欠けていたからといって、何も考えなければ特に不自由があるわけではありません。

けれども、今日教会が使徒、預言者がなしでも不足を感じていないとするなら、それは本来着くべき配置に教会が着いていないことにあるのではないでしょうか?


教会の目的が信者を増やし、奇跡が起き、弟子化することだけであるなら、五役者云々なんて知らなくても何とかなることだと思います。

事実、リバイバルが成長している国の中には使徒的な教えはほとんど知られていない場所もあるのです。

ただ、たくさん教会を開拓した人、牧師の牧師、巡回でミニストリーをしている人などを使徒と呼んでいるのです。たしかにそれは使徒としてのひとつのしるしですが、そのような働きに限定してしまっていては、本来の使徒とは何かについて理解することができなくなってしまうのです。彼らは、それはそれでよいようですが、日本は違います。

逆に言うなら、日本の教会が成長しないひとつの理由は、われわれが与えられた配置に就くために、安易に成長さえすればよいという立場ではなく、立ち止まって考え、成熟していくためのものではないでしょうか?


使徒が不在であるなら、戦略もありません。

使徒が不在であるなら日本のリバイバルを願いながらも他に戦略がないので、唯一ある戦略(古い戦略、偏った戦略、間違った世界観による戦略)である、日本の罪の謝罪と悔い改め一辺倒になってしまっているのです。

これらの学びを通じて、五役者とは何かを知るだけでなく、日本に与えら得た役割の一端を知っていくきっかけになればと思います。