断食1日目:人の存在理由(とりなし)

今回の教えの焦点は単に「とりなしの祈り」がどうして必要かという教えではありませんが、基本的理解として「とりなし」とは何かを知っておく必要があります。

なぜなら、「とりなし」というのは単なる祈りのひとつの分野ではなく、クリスチャンとしてのあり方、いや人間としての存在理由の根本にかかっている事柄だからです。

それについて過去記事がありますのでまずそれを読んでください。

とりなしの祈りの本質 (09/09/16) 

というわけで今日の本文は短めに。


デボーションのテーマ

1)自由意思を持つことに対する宗教的な縛りがないかどうか自分を吟味しましょう。

2)それと同時に与えられた自由を用いすぎるのではなく、恐れおののいて神の御心を求めるものとなれるように祈りましょう。

3)神の御心であると確信している「あなたの自由意思を用いた事柄」を大胆に求めて祈りましょう。