1) 聖霊の注ぎは問題をあぶりだす
今から3年ほど前の私の教会のメンバーが救われてまもなかった頃、その子供が当時3歳だったときに起こったあるエピソードについて懐かしく話をしました。
その子供は今ではとてもお行儀がよいのですが、その頃はまだ十分なしつけがされていませんでした。
ある日、祈り会が終わってから交わっていたら、その子供が私のところにやってきて、角笛を貸してほしいというのです。私が「だめだ」というと私をにらみつけて「牧師さん悪い!!」というのです。
そのにらみ付け方ときたら悪魔に取り付かれているのではないかと思ってしまうほど恐ろしく陰湿な目つきでした。
その瞬間、私はこれではいけないと思い、聖なる怒りに満たされ、その子の父親と共にその子を連れて別室に行きました。
普通だったら、体罰は親にさせるのですが、彼はまだ慣れていないことと、このような特別な対峙には対処できないと思ったので、私が親の監視の下で代わりに体罰を与えることにしました。
結果を言うなら、その日以来、嘘のようにその子供の行儀が良くなったのです。
それは箴言22章15節に書かれたよう「懲らしめのムチ」というのはに「子供の心の愚かさを断ち切る」力があるからです。
その前の出来事とは、祈り会の中で子供達の為に聖霊のバプテスマを求めて祈るべきだとという導きを感じたので祈ったことです。そして、子供達は聖霊のバプテスマを受け異言で祈りだしたのです。つまり霊的なミニストリーとしてはとてもよい話だったのですが、実際に起こった出来事は、その子の内につながれていた「悪い根」が表面化してしまったのです。
けれども、どうして、聖霊のバプテスマを受けた直後にこのようなことが起こったのでしょうか?
ですから、聖霊を求めて祈る中で、私達が期待していることと反対の出来事が起こる場合があります。表面的にはより悪くなるような出来事も起こってくるのです。
なぜなら、聖霊と悪霊は共に住むことができないからです。
どのような出来事、表面的には後退に見えるような出来事であっても、それを通じて主がなされる御業があるからです。
また、それと同時に適切な対処をする必要があります。
適切でない対処とは、先ほどの「角笛を貸して」のケースでは、子供がすねたからといって角笛を貸してあげるという甘やかした対処です。
状況に応じてどのように対処すればよいかというのはケースバイケースなので今ここですべてを書くことはできません。
しかし、その対処方法は、表面的に物事を良くしようとするだけのものであってはなりませんし、また、聖書的な対処方法でなければなりません。
けれども、主は私達に必ず知恵を与えてくださいます。
1) 聖霊の訪れを求め、自分の人生に変革が与えられるように、あるいはひっくり返させられるように求めましょう。
2) その結果生じる、(あるいはすでに生じている)自分に対するチャレンジについて肯定的な視点を持ち、表面的な対処方法ではなく、聖書的な対処方法を求めましょう。
3) 5月14日(火)、15日(水)にインドネシアのジャカルタでエンパワード21が開催されます。その大会の為に祈りましょう。