4) 聖霊の注ぎはへりくだりと断食によってもたらされる

ペンテコステの日まで、彼らは断食をして約束の訪れを待ち望みました。

そのことは聖書にはっきりと書いていないので、見落としがちですが、(マタイ9:15)に「花婿が取り去られた後に断食をする」と書いている以上、彼らは断食をしていたことでしょう。


今日の教会は以前ほど断食の祈りが重要視されていませんが、このように、聖書の中にははっきりと書かれていなかったり、教えの中であまり重要視されていなかったとしても、断食に大きな意味がある場合が多々あります。

たとえば、第2歴代誌20章の教えは賛美の教えとして有名です。

なぜなら、(2歴代誌20:21)にあるように 戦いの最前線に賛美をするものが先に行ったからです。

また、これは感謝の教えでもあります。(2歴代誌20:22)感謝をするときに敵が混乱したからです。

どちらも大切な教えですが、忘れてはならないものがあリます。

第二歴代誌20:1−4)を見ればわかるように、彼らは断食を布告したのです。

へりくだり断食するという土台があってはじめて、預言者が立ち上がり(第二歴代誌20:14−15)戦略が組み立てれるようになったのです。


断食によって主の来臨を待ち望む

今回の連鎖断食では聖霊の注ぎについて書いていますが、主が来られるという意味においては、主の再臨にも共通するものがあります。

ルカの福音書の2章に、主を待ち望んでいたシメオンとアンナについて書かれています(ルカ2:21−38)。アンナはかなり長い年数、宮を離れず、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていました(ルカ2:36-37)。彼女の祈りは主を待ち望む祈りであり、キリストの初臨の為に彼女の祈りは大いに用いられました。

「主の再臨の道を備えること。」にあります。主の再臨の道を備えるとは、単に「主よきたりませ」という祈りをすることではありません。それにいたる(私達がしなければならない)全ての事をして備えていく必要があるのです。


祈りのポイント

1) 神の前にへりくだり、自分の力は無力であることを悟りましょう。(2歴代誌20:12)

2) 神に目を注ぎ、慕い求める祈りをしましょう。(2歴代誌20:12)

3) 特に、この14日〜15日にかけて、断食して祈りましょう。