(3)神との親しい交わり


我々が求めるべきものは何か? 

(詩篇27:4) 私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。

リバイバル云々以前に私たちは主ご自身を求めなければなりません。

先日、札幌で開催された「主をしたい求める祈り会」に二日連続参加しました。評判通りの素晴らしい主の臨在あふれる集会でした。
1990年代に世界を席巻したかってのトロントブレッシングをほうふつさせるものがありましたが、それ以上のものであるという印象を受けました。なぜなら、これが今の日本に対して主が与えておられる旬のものであることを感じたからです。

私たちが、神との親しい交わりをするときに受け取るものは安息です。
これこそ、働きの初めに神が私たちに与えたいものです。

ユダヤの習慣では一日の始まりは夕暮れから始まります。
食事をし、家族で団らんの時を持ち、睡眠することから一日ははじまるのです。

主をしたい求める祈り会のような臨在あふれる環境では容易に主の臨在を感じることができます。

それでも、神が願っているのは、(マタイ6:6)にあるように個人的に一対一で私たちと時間を過ごすことです。
そのためには、その時間を特別に聖別する必要があります。

神に近づけば近づくほど、自分がふさわしくないと感じるかも知れません。
しかし、恐れることはありません。聖書は私たちに大胆に進み出ることを勧めています。なぜなら私たちは(ヘブル10:19)にあるようにキリストの血によって聖められているからです。


(1)御言葉を思い巡らしたり、ソーキングなどといった方法で神との一対一の時を過ごしましょう。

(2) 神の前に大胆に進み出て求めましょう。
(ヘブル10:19) こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。