(6)リバイバルへの招待
リバイバルの起こっている国の中でも、旧態依然とした教会はありますし、成長しない教会もあります。
特別な召しのゆえにそのような状態にとどまる場合もあるでしょうが、基本的に神の願いは私たちが増え広がることです。
リバイバルが起こっても、人が救われず、成長しない教会があると言うのは神への畏れを生じさせます。それは心を開いて神がなされる御業を受け入れなければその益を受け取ることができないからです。
それは、また個人に当てはめるなら、何も変わらない人もいるという意味だからです。
しかし、招待されていない人は誰もいません。
だれでも心を開き神を求めるなら、私たちはその恵に預かることができるのです。
神に苦い思いを持ち、自己憐憫に浸るものではなく、神を求め前進するものとなりましょう。
(1)神が与えてくださるものを大胆に求めましょう。
(2)自分のうちに苦い根があるなら、それから解放されるように求めましょう。
※ 苦い根が完全に癒されなければ神の恵みを体験できないと言うものではありません。
(ヘブル12:15)には、自分自身を監督することによって苦い根が芽を出すのを食い止めれると書いてあります。苦い根や傷ついていることを言い訳にして現状にとどまるのはやめましょう。
(箴言 4:23) によるなら、自分の心を見張ることによって「いのちの泉」がそこから湧き出すのです。すなわち、苦い根の要塞のように感じていた自分の心が命の泉の湧き出るリバイバルの源となるのです。