■3日目 「花婿を慕い求める苦しみの場所」

「断食によって夫(王)に近づく」という話を書きました。
そう、断食は花婿を待ち望む行為なのです。

(1)雅歌

雅歌8章5節に「愛するものによりかかり」「荒野から上ってくるひと」「産みの苦しみ」というキーワードが出てきますが新改訳聖書ではこの言葉はわかりにくいです。

それは、まず第一に誰がその言葉を語っているのかがはっきりと定義されていないからです。しかし新共同訳や英語の聖書を見るなら良くわかります。

◆合唱
8:5 荒れ野から上って来るおとめは誰か/恋人の腕に寄りかかって。
◆おとめの歌
8:5 りんごの木の下で/わたしはあなたを呼びさましましょう。あなたの母もここであなたをみごもりました。あなたを産んだ方も/ここであなたをみごもりました。

8章5節は実は二つに分かれており、前半は「合唱」後半は「おとめの歌」なのです。

ですから、この詩が意味することはこの通りです。

おとめは愛するもの寄りかかり荒野を経験します。「身ごもりの苦しみ」とあるように「りんごの木」は苦しみの場所を象徴しています。そこにおいておとめは愛する方を呼び求めているのです。


断食というものはひとつの荒野の体験です。しかし、その場所こそ、花婿を慕い求める場所なのです。


(2)聖霊降臨において:弟子達の祈り


主を待ち望む者達といえば 使徒たちを始め120人の弟子たちも断食しました。イエスは弟子達に「エルサレムにとどまって父からの約束を待ちなさい。」といわれました。それゆえ彼らは高き所で約束の聖霊を待ち望んでいました。

でもこの時に彼らはただ集まって祈っていただけではありません。聖書にははっきりとは書いていませんが彼らは断食の祈りをしていたと思います。
なぜならマタイ9章に「花婿がとり去られるときに断食をする」(マタイ9章14-15節)と書いているからです。

120人の弟子達が断食をして心を合わせて祈っているときに聖霊の注ぎがありました。これは最初の雨と呼ばれる聖霊が注がれたときです。


デボーション

1) われらの主イエスは花婿です。そのみ顔を慕い求めましょう。

2)イエスは教会の花婿です。私たちが教会にしっかりつながっているからこそ、我々は花嫁となりえるのです。

教会につながり、自分の教会、そして地域にある諸教会を祝福しましょう。