(11) 6日目(金) 6月6日 教会を滅ぼす霊

教会を滅ぼす霊とは、霊の機能ではなく、霊の規模、戦略のことです。
1ヨハネ5:8)にあるように、敵は私たちの隙をいつもうかがっているのですから、ある意味気まぐれに悪霊の仕業は起こります。
しかし、教会を滅ぼす霊は、戦略的に攻撃をしかけます。ですから、これの攻撃にさらされると、それまでの既存の方法では、だらだらと時間がかかってしまい解決できない場合が生じます。

これは個人に働く霊とは異なり、教会やミニストリー全体に攻撃を仕掛けるものです。しかし、悪霊は教会の空中にふわふわとただよって侵入するわけではありません。多くの場合、その霊の足場となる人が存在するのです。
それは、悪霊が人、個人に働く場合もその人に罪や赦さない思い、心の傷などがなければ効果的にとどまることができないのと同様です。
すなわち、個人に働く霊がある人に作用し、進入口を見つけると、教会を滅ぼす霊を引き込むのです。

進入のきっかけになる主な霊は「反抗」「イゼベル」「批判」「高慢」などです。


この霊から守られるために

(1) へりくだり
先のイゼベルの学びでも語りましたが、へりくだりはすべての悪霊の攻撃に対抗する有効な方法です。

※ただし、へりくだりとコンプレックスは異なります。極端な自己卑下、自信のなさの兆候がある場合はそれはそれで問題です。

(2) 良いコミュニケーション
特に、牧師、リーダー、コーチとのコミュニケーションは守られるために有効な手段です。

(3) 神との関係
霊的守りのために、神との関係は重要です。

(4) 兄弟姉妹との良い関係
前回の学びの中で(第1列王記19:1-4)エリヤがイゼベルに脅かされた話をしました。エリヤはどうしてこのような極端な反応をしてしまったのでしょうか?

その理由のひとつは彼が共同体の中から飛び出してしまったことにあります。19章3節で彼は自分の従者と離れて孤立してしまいました。「エリヤに見る共同体が持つ力」という記事にあるように、普通の人であったと聖書に記されているエリヤが力を発揮できたのは、彼が共同体の中にいたからなのです。

ですから、(ヘブル10:25)にあるように私たちは集うのをやめてはなりませんし、共同体の中で粗朶たられなければならないのです。


対処の方法
(1)戦いの規模を測る
ねずみを殺すのにダイナマイトを用いる人はいません。建物も破壊されてしまうからです。 小さい問題を過大評価することなく、また大きな問題を過大評価することなく適切な大きさを測る必要があります。

(2)進入口となっている人の魂を取り扱う。
とり扱い方にはさまざまなものがあります。時には訓戒は大きな武器となります。

(3)愛によって行う
子供にこらしめを行う上で重要なことは愛に基づいてすることです。その人に対する働きかけはその人が邪魔だからではなく、その人を守るために、また愛に基づいて行うべきです。


デボーション

(1)へりくだりを求めましょう。

(2)兄弟姉妹との関係を妨げていることを取り扱いましょう。