1日目6/12(日):荒野とは
ヘブライ大学があるエルサレムのスコープス山から東側の風景には驚かされます。それはユダの荒野と呼ばれる荒野が広がっているからです。
エルサレムとは光景の対比に驚かされます。
■試される場所
(申命記8:2) ・・あなたを苦しめて・・・あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
イスラエルの民は荒野で40年間さまよいました。彼らは不従順のゆえに(民数記 14:22〜23)そうなってしまったのですが、具体的に言うなら(民数記32:13)にあるように、古い世代を滅ぼすためなのです。
(申命記8:4-6)を読むなら、彼らが荒野をさまよわされた理由は訓練のためでした。
■ 霊的食物としての御言葉を受け取る場所。
(申命記8:3)
イエスはこの荒野にて40日断食されたときに、「 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と宣言し、サタンの仕業を退けられました。
荒野において神の言葉の大切さを実感する場所です。
荒野を意味する言葉はヘブライ語でミドゥバル(MDBR)ですが「言葉」とも訳されるヘブライ語のひとつに「ダーバール」という言葉があることから、荒野は御言葉を聞く場所であるという解釈もあります。
デボーションのポイント
今、荒野を取っている人は、この経験を通じて神が何をなさろうとしているのかを知りましょう。
以前、荒野を通った人は、そこで何を受け取り、何を受け取りきれなかったのかを思い巡らしましょう。
今、困難を通っていると思われる思いつく人のために祈りましょう。