3日目6/14(火):荒野での敵

昨日書いたように荒野での生活は神の備えと、奇跡の御業に満ちた毎日でした。しかし、そこにおいて敵が潜んでいました。もちろん敵は外部からもやってきましたが、それよりも甚大な問題をもたらしたのは人の心の内側に潜む罪の性質からくるものでした。


■内なる敵

不満
第1コリント10:10)(民数記16:1−4)(民数記14:1〜38

姦淫(放蕩)
第1コリント10:8)(民数記  25:1〜9)

主を試みる
第1コリント10:9)(民数記21:5−9)

偶像崇拝(自己義認)
モーセが山に登っている間、民は、目に見える神の像を求め、子牛の偶像を作りました。(第1コリント10:7)(出エジプト32:1〜6

偶像崇拝という言葉を使うと多くのクリスチャンは自分には関係ないと思いますが、この問題の本質は以下のようなものです。

1)目に見えるものに頼ること

2)自分のやり方を通そうとすること

3)自分で自分を義とすること


■ 敵が私たちを狙っている

申命記 25:18)

私たちは主の元にいるなら守られますが、そうでなければやられます。


■ 彼らはどうして約束の地に入ることができなかったのか?

1)彼らがそれを望んだ。

(民数記14:28) あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

「主が聞かれた民の言葉」 というのは、民数記14章2節のこの言葉です。

民数記14:2) イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。

 


■ デボーション

1) 正しい動機と心で主に向かいましょう。

私たちは、主に本音で語り、ダビデがしたように(詩篇13:1-2)不満やぐちを語る自由が与えられており、主はそれを聞かれ、そのような言葉を通じても祈りとして受け止めてくださいますが、しかし、それは、私たちの心が正しい場合です。

2) あなたの不満がどこから来るのかを主に調べていただきましょう。

(民数記16:1−4)で起こった民の不満は単に水や食べ物が無いといった不満から来たものではありません。この事件を通じて彼らの心にあった、権威への反抗、思い上がりといった罪が明らかにされました。

3)敵に隙を与えないようにしましょう。

落伍者が背後から襲われた(申命記 25:18)ということは、それは、群れについていっていなかったことを意味します。 教会につながりましょう。

4) 互いに守りあう共同体であること

それと同時に、群れから離れてしまった人のためにとりなし祈り、導かれるなら連絡を取りましょう。