3日目:9/26(火) 福音を伝える


私達が伝えるべきことは福音です。

福音という言葉は「祝福の音信」を省略したものです。

つまりそれは、聞く人を祝福する言葉です。

この世には多くのセールストークが飛び交っています。
セールスの電話がかかってくることがあります。それは、保険の勧誘、電話料金やインターネット接続料金を安くする、家庭教師、不用品の買取などです。そういった話を聞いても私にとって益になる事はありません。つまり私にとって益となる祝福の知らせではないのです。

しかし、福音は聞く人全ての人にとって益となる祝福の知らせです。


福音の究極的な本質は(第1コリント15:1-6)にあるように「 十字架の死と復活」です。

世の人はそれを理解していません。ですから無関心、拒否、嫌悪感などといった反応を示すことでしょう。

そのようなわけで、 クリスチャン自身が、自分が語る宣教の言葉が愚か者の言葉に感じてしまうのです。

しかし、だからといって落胆してはいけません。(第1コリント1:18)(第1コリント 1:21)に書かれたように、おろかに聞こえてしまう事は新約聖書が書かれた時代でも同様のことだったからです。


福音の包装紙

そのようなわけで、通常福音を伝える際には、相手がつまずかないようにある程度包装紙にくるんで渡すことになります。それは時にはゴスペル教室であったり、英語サークルであったりします。

そのような工夫はある程度必要ですが、近年見られる現象は次の2つの例に見られるように福音をそのまま伝え、聞き手がインパクトを受けている出来事です。

(1)
ゴスペルチャペル札幌の山下牧師夫妻は毎週数度出て行き公園で児童伝道をしています。通常児童伝道と言うと引き付けるためにある程度エンターティメント的な要素を用いるものですが、彼らは紙芝居を用いるものの、ほぼ純粋に福音を伝えているだけです。

それにもかかわらず、時には20人以上の子供たちが話を聞くために群がりイエスを心に受け入れているのです。その様は圧巻です。

(2)
Miura SammyのYouTube伝道のチャンネルの中に「死にたい人へ」があります。語っている内容は導入部分を除いてその後は飾りも証もない福音だけです。しかし、この1年半で10万以上のアクセスがあり、2400以上のコメントがあります。


つまり、今日、純粋な福音に人々が反応しはじめているということです。

ですから、立派な包装紙を持っていないからといって落胆する事はありません。


祈りの課題

1)上記の御言葉を思い巡らし、福音の本質、そのデュナミス(力)を受けとりましょう。

2)単純に福音を伝えてみましょう。