6日目:9/29(金)霊的食物としての伝道

(ヨハネ4:31-34)においてイエス様は、「霊的食物」について語りました。

それは父の御心を成し遂げることの事なのですが、その章の文脈からして、そこで語られている霊的食物とは特に福音を伝えることであることがわかります。

そう、福音を伝えるとき、特に魂の救いを見ること、それは何にも代えがたい霊的食物なのです。

今日路傍伝道をしている教会はそれほど多くはありません。教会の規模が大きいからといってそれをしているとは限りません。たとえ伝道熱心な教会であっても、そうとは限りません。

だからといって、その教会が怠けているという意味ではありません。 路傍伝道しないことには理由があります。友人や家族や教会に招待する人を持たない人は路傍で福音を聞いて救われたとしても、教会に来るのはかなりまれですし、ましてやつながり続ける事は至難の業だからです。

つまり、教会員を増やすための手段としては効率が悪いのです。

その考え方はある意味正しいです。しかし、効率だけで神の国の価値観を語ることはできません。

福音を伝え、救いの御業を見る事は最高の霊的食物だからです。

確かに、教会員を増やす手段としては路傍伝道は効率が悪いですが、救いの御業を目の当たりに見るという点ではもっとも簡単なのです。大通り公園で若者を対象に2時間伝道すればおそらく一人や二人受け入れる人(※)が出てくることでしょう。

(※ もちろん、その人はキリストについていく決心をした人とはいえず、ただイエスキリストを受け入れる祈りを後に続いて祈った人かもしれませんが)

ですから、単にトラクトを配るだけの伝道をするのやめましょう。それが無駄だとは言いませんし、実際それで救われる人のいますが、ある伝道団体の経験によると救われる確立は百万枚に一人ぐらいだそうです。

そうではなく、積極的に話しかけましょう。その人の必要を知り、預言的に励まし、祝福のために祈り、いやしのために祈りましょう。

そして、まねきをするなら、予想以上に多くの人がそれに答えることでしょう。

そのような御業を見ること、それが私達の霊を養うのです。


祈りの課題とチャレンジ

1) 福音を伝える際にそれだけでなく救いの招きをしましょう。

2) 自分の街の魂の救いの為に祈りましょう。