1日目:はじめに

キリスト教の世界で以前は当たり前のように信じられていたことが今日では間違いだとわかっていることもたくさんあります。

そういった間違いも、困ったことに御言葉の解釈からそのように信じられておりました。

たとえば、アメリカでは黒人を普通に奴隷にしておりましたが、彼らは創世記9:25節の御言葉を根拠にして、別に悪いことをしているとは思っておりませんでした。

創世記9:25 彼は言った。「カナンはのろわれよ。兄たちの、しもべのしもべとなるように。」

また、1960年代から米ソの軍事開発、核競争がありましたが、それは(第2ペテロ3:12)には世界が焼けて壊滅する記述がありますが、それが可能となるのは核戦争以外にはありえないので、それは御心だと解釈したのです。

第2ペテロ 3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。


とはいえ、実際には、聖書に書いているからそのようにしたわけではなく、自分達のやりたいことを正当化するために、聖書のことばを見つけ出して引用したのです。

ですから、聖書を誤りのない神の言葉だと認めることは大切ですが、 しかし、聖霊の光によらないで「聖書のみ」という信仰であるなら、その時の支配層が好き勝手に解釈してしまう可能性がrのです。

それではどうすればよいのでしょうか?必要なのは何でしょうか?

聖霊の光が必要なので聖霊を求めることでしょうか?
それも大切ですが、そのほかに、常識による判断や法律に合致しているかどうかによる判断もあることを忘れてはなりません。

今回の学びは、さまざまな角度から見分けることについて見て行きたいと思います。


デボーション

(1)自分が神様に仕えているかどうか。仕えているならその動機を探り吟味しましょう。

(2)知恵と啓示の御霊(エペソ1:17)が与えられるように祈りましょう。