1日目:キリストのからだ
教会としてのコミュニティーを聖書はキリストの体と呼んでいます。
そうであるなら、私たちはこのかたにあって一つとなるのです。
しかし、そう考えるときに一つの罠があります。
それは、キリストさえ見上げていればよいという考え方・・・つまり、人間関係を軽視したり、自分の心の状態を吟味したりしなかったり、また、他の人を顧みないということです。
「愛を持って真理を語り・・キリストに向かって成長する」という言葉に注目しましょう。
愛に基づく互いの関係を築き上げること、すなわち、この文脈からは、(エペソ4章13節〜14節)にあるように、時には「愛をもって真理を語る=互いに戒めあう」ような関係にあるようなコミュニティーのことなので、単に神様との関係だけではないのです。
また、この御言葉が語っているのは、一教会(いちきょうかい)だけのことではありません。
聖書の中で登場する御言葉は「普遍的公同の教会(キリストの身体としての一つの教会)」という意味と「一地方教会(ローカルチャーチ)」の二つの意味があります。
ですから、自分の教会のことだけでなく、公同のキリストの体のことも考えましょう。
デボーション
御言葉を読み、思いめぐらしましょう。
キリストの体の一致のために祈りましょう。