教会をギリシャ語でエクレシアと言います。
それはマタイ16章で初めて登場する言葉ですが、それを聞いた弟子たちは、その意味をある程度即座に理解しました。その意味が「会衆」だからです。わかりやすい例としては古代ギリシャの都市国家では市民が集まり合議をしておりましたが、それがエクレシアでした。
ですから、弟子たちが少なくとも理解したことはそれは建物を指すものでなく人の集まりだという事です。
私たちの教会は今のところ会堂を持たずに集会をしているので、そのことをイメージしやすいと思います。
教会を石の集合体に例えるなら、その一つ一つが私達教会のメンバーなのです。
(第1ペテロ 2:5) あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。
信仰は神様との関係であるという視点でいうなら教会に属する必要はないように見えます。
しかし、教会に所属するというのは大切な事です。
イエス様は言われました。
「私は木の幹であなたがたは枝である」(ヨハネ)
そしてその枝が実を結ぶことについて言われました。
みなさんは木を見たことがあると思います。
典型的な形態は太い幹があり、そこから何本か太い枝が出ており、さらにそこから枝がわかれているというものです。複数形である「あなた方」が複数形である「枝々」(κληματα・クレィマタ)という意味は、ここでいるキリストとのつながりは一信者個人としてではないことがわかります。
実際、花嫁としての教会は一地方教会ではありませんし、ましてや信者個人ではありません。
このことは次の御言葉にも現れています。
マタイ18:20 二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」
キリストを信じたら聖霊が自分の内に住む、これがキリストの内住だ、
クリスチャンの集まりなので健全な教会を建て上げるには健全なクリスチャンが必要です。
健全なクリスチャンの条件にはいろいろありますが、ここで第一に言いたいことは「確かなアイデンティティーを持つ」ということです。
アイデンティティーと一言で言っても様々な方向性がありますが、ここでは
キリストにあるアイデンティティについて語りたいと思います。
エペソ人への手紙は教会の設計図だといわれています。
その設計図であるエペソ書には最初の1ページを使って「我々はキリストにあってどのようなものであるのか」について書いてあります。
すなわち
@ キリストにある祝福
A 世界の基が置かれる前からの選び
B 聖なる存在
C 傷の無い存在
D 父なる神の子供となる
E あらかじめあった定め
F 血による贖い
G 罪の赦し
H あふれる恵み
I 御国を受け継ぐもの
J その保障として押された聖霊による証印
などです。
つまり、教会の建築材料は人間(クリスチャン)ですが、彼らが無自覚であるなら、良い建築物とはならないことでしょう。必要な事は、一人一人が自分のアイデンティティーを自覚して、それに従って歩んでいくという事です。
さらに注目のポイントはエペソ1章の後半である17節〜19節の御言葉です。
ここでパウロは私たちの(霊的な)目が開かれるようにと祈っています。
なぜなら、一人の健全なクリスチャンが形作られるためには、以下のような事柄を知る必要があるからです。
@神ご自身を体験的に知ることができるように
A私たちは神にあってどのようなものか
B神にある望みを知ることができるように
C受け継ぐ富がどれだけ大きなものか
D神の力だどれだけ偉大であるのか
そして、それらを理解するための秘訣が「知恵と啓示の御霊が豊かに与えられることである」としています。
その御霊の啓示を受け取るためにも主の前に進み出て、祈り礼拝しましょう。
祈りとデボーションの課題
1) エペソ書1章全体を読んで自分はキリストにあってどのようなものかを理解しましょう。
2) 神の前に出て祈り礼拝しましょう。
3) 知恵と啓示の御霊が注がれるように祈りましょう。
4) 教会を建て上げる為に祈りましょう。