5日目:世に遣わされた出先機関

前回私たち教会はキリストの手であり足であるという話をしました。
それはどの程度の事なのでしょうか。
かゆいときに背中をかく道具として孫の手というものがあります。それは便利な道具なのでしょうが、私たちはその程度の存在なのでしょうか?
そうではありません。

教会とはこの地上における神の出先機関であり私たちは全権大使、いや全権外交使節(その人の判断や決定がその国の決定とみなされるほどの権威をゆだねられた人)なのです。

このことについて理解するために、クリスチャンの存在意義、いやそれ以前に人間の存在意義を知る必要があります。


聖書学校で教えた「とりなし」について教えた2時間目のビデオがYouTubeにあります。それはそのことを理解する手助けとなることでしょう。(45分ほど)

教えのバックグラウンドを知るために余裕があれば1時間目の授業のビデオも聞いてください。


内容を要約しますと。

  1. 人は霊と肉体を持っており、神、天使、悪霊、その他のあらゆる被造物の中でも特別な存在です。
  2. 人が造られた目的は神に代わってこの地上を治める為であり、それは特別な性質を持つ人間だけができることでした。
  3. 霊的世界が目に見える自然の世界に介入する方法は人間を通じてだからであり人が唯一の仲介者でした。
  4. 当初人には、禁断の実を食べる以外には完全なる自由が与えられており、人がすることはすべて神の御心でした。
  5. しかし、人は罪を犯し失敗してしまいました。
  6. その失敗を取り戻すために、神が人となってこの地上に来られました。それがキリストです。
  7. 今日私たちはアダムほどの自由は与えられていませんが、唯一の仲介者であるキリストの下請けとして、つまり神の御心の範囲内で自由が与えられており。その決断を神は承認されております。

このことから言いたいことは
教会が神の手足であるというのは単に孫の手のような道具となることではなく主導権をとった大使となっていくということです。


エペソ1章21節〜23節にあるように、

それが教会に与えられた力です。
私たちがそのような大きな視点を持つことができるなら、大きなビジョンを持つことができるのです。


また、札幌クリスチャングループでは
マーケットプレイスミニストリー(ライフプレイスミニストリー)という形で神の国の拡大を願っております。


ただ、気を付けなければならに事があります。

それは、私たちが霊的世界と目に見える世界をつなぐ存在であるなら、私たちが感じること、決断すること、そしてすることによって、霊的世界の影響がこの地上に流れてくるからです。ここでいう霊的世界とはサタンの領域も含まれます。

ですから、私たちは聖さを保ち、神の国を思っていく必要があるのです。


祈りとデボーションのポイント

1) キリストの体全体という広い視野を持ち、教会のしっかりつながれるように祈りましょう。

2) 自分の思う事決断することが、神の国であれ、サタンの領域であれ、霊的世界の力をこの地上にもたらすことであるという事を自覚しましょう。

3) この地上において祝福となれるように祈りましょう。