3日目: 権限と能力の付与

☆ 権限の付与の意味は、任せられた人に裁量の余地が与えられるというものです。


私たちの教会はチームミニストリー、牧会チーム(スタッフ)と共に複数牧会で運営されております。

それはまた、牧師が監督として立ち、直接奉仕に携わらないことも意味します。牧師の役割は(エペソ4:11-12) にあるように聖徒を建て上げることだからです。

複数でミニストリーをするときに必要なのは、それにたずさわる人に権限が与えられることです。

たとえば私がスタッフ達に伝えたことは「あなたたちの決断は私の決断である」という言葉です。現場で、決断しなければならない状況になった時に、いちいち伺いを立てなくてもよいという意味です。

こういったことは、教会がしていることのほんの一例です。


☆ 能力の付与は(霊的、実際的)の三つの分野で言えることです。

霊的

ここでいう霊的能力の付与と言うのは(1コリ12:8-10)にあるような神様が下さる聖霊の力です。
こういったものは、プレゼントを買ってきて渡すように、こうすれば能力を付与できるという公式があるわけではありません。しかし。それが、与えられるためにどうあるべきかということはわかります。

それは自分の願望の為ではなく、(1コリ12:7)にあるように皆の益となるためのものであることを知ることです。

また他人のものに忠実であること(ルカ16:12)も大切です。

また、パウロがローマの聖徒達に会いたがった理由は、御霊の賜物を与えるためであった(ローマ1章11節)とあるように、リーダーに注がれた油注ぎが聖徒達に分け与えられることについて書いてあります。

詩篇133編2節にはリーダーの上に注がれた油注ぎが伝わっていく様子が描かれております。


実際的な領域

中高生で英検2級をとることが欲見られているように、語学能力の付与は教会のビジョンの一つとなっております。

また、パソコンのレッスンや、楽器のレッスンがなされています。

夫婦の為のコーチングや子育てコーチングもこれにあたるでしょう。


★「枯れる教会」に見られるその反対の意味★

それは「権威独占と囲い込み」 です。


  1. 権限と能力の付与でなく「権威独占と囲い込み」

ここでは二つのことについて書いてあります「権威独占」というのは牧師やスタッフリーダーの考えだけが生かされるというものです。 しかし、私たちの教会ではすべての人が尊ばれます。

私たちの牧会にとって転機となった出来事がいくつかありました。

思春期の子供を育てることと、最も弱い立場にいる人にの言葉に耳を傾けることです。

そして、 私が牧会をしていくうえで体験していることは、小さな一人の人の言葉に耳を傾けるときに、教会全体が変えられていくということです。


☆囲い込み

「囲い込み」の意味が良くわからない人もいるでしょう。よく見られるのは、所属教会以外の他の教会のイベントには参加させないというものです。

まあ、確かにそうする必要がある場合があるのも確かです。なぜなら一見良さそうに見えてもただクリスチャンのエネルギーやお金を消耗させるだけの団体やムーブメントの集会もあるからです。

他の教会と交わらせないというのは、他の価値観に触れさせたくないというのが理由でしょう。

私は典型的な囲い込み教会を見たことがあります。
そこはさほど大きな教会ではありませんが子どもから20代前半までの若い人たちがいてにぎわっているように感じました。チャーチスクールもしており、子供たちに生活するための技術を教えるなどとも言っていたので、私たちの教会と価値観が似ているように感じました。

しかし、その中身は全く正反対でした。
チャーチスクールをしている理由は、子供を世の価値観に染まらないようにするためといえば聞こえは良いのですが、教会の奉仕に役に立つようなピアノを練習させるようなこと以外はたいして勉強をさせず、高校卒業認定試験を受けさせるわけでもなく、教会に依存させなければ生きていけないようにしていたように感じました。



もちろん、牧師が容認しているからと言って、やらないほうが良いことや、参加しないほうが良い集まりもあります。

いずれにしても、一人一人が大人になって識別力を養う必要があるのです。


★祈りの課題★

与えられた権威を賢く用いることができますように。

与えられた自由を賢く用いることができますように。

ソロモンが求めたように正しく治めるための知恵が与えられますように。