聖書をよく読んでいる人は「イエス様が裁きを行う」と書かれた御言葉がたくさんあることに気が付かれることでしょう。(ヨハ 5:27)(ヨハ 9:29)その矛盾をどのように考えればよいのでしょうか。
それには3つの意味があります。
(1)御言葉が人を裁く
ヨハ 12:48 わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。
近年、以前ではほとんど起こらなかった転落事故が増えています。それは命綱を付けずに高所で危ないぎりぎりの場所まで行き、そこから転落するというものです。
これはYOuTube等で危険映像を載せると名声とお金が得れることで起こっております。
彼らが落ちた理由はいうまでもなく重力があるからです。重力が無ければ彼らは死ぬことはなかったでしょう。
しかし、誰も重力が彼を殺したなどという人はいません。なぜなら、それは当然あるものとして、私たちは重力が存在する社会に生きているということを理解して生活しなければならないのです。
この重力を御言葉(神の律法)に、落ちることを罪に定められることに置き換えて考えてみましょう。
キリストがさばきをすると言っても、キリストが自分で判断するわけではありません。父が与えた律法を元に判断し裁きをするのです。
(2)キリストが自分の意志で選別するのではない
以下の御言葉にあるように、キリストは父の意思によって裁きをするのです。
ヨハ 5:30 わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
ヨハ 8:16 たとえ、わたしがさばくとしても、わたしのさばきは真実です。わたしは一人ではなく、わたしとわたしを遣わした父がさばくからです。