G 1日目:(日曜日)(配信は土曜日) 建物を持たないことのリスク

建物を持たないことのリスク

私たちの教会は現在建物を占有(所有あるいは賃貸)しないで集会をしています。
建物を持たないことにはいくつものメリットがありますが、今回はそのデメリットに目を向けてみたいと思います。


@ いつでも部屋を確保できるわけではない

これは、私たちにとっておなじみの問題です。
たとえ借りれるとしても2か月以上先の計画は変更を余儀なくされる可能性があります。


A いつでも集まれない

集まるという意味は集会だけを意味するのではなく、ふらっと教会に寄るなどといった事柄も含まれます。

たとえば、 祈り会などは余分な部屋がないので、祈り会に参加しない人はその場所にいれないことを意味します。

大人が祈っている間、子どもたちだけ別室で遊んでいるというようなことはできません。


B 機材を設置したままにできない

現在の集会のシステムでは機材のセットアップを毎回しなければなりません。

また、可搬性を意識する必要があるので機材の量や質にも制限が生じます。


C 物品を保管できない

こういったことも、目に見える大きなの一つです。

また図書館のようなものも作れないので個人が持っている図書を共有しにくいというデメリットがあります。


D ゲストルームの設置や人材確保の可能性

多くの教会はゲストルームを確保してゲストを迎えることができるようにしています。

また、ある教会は無料で長期滞在者を受け入れることによって人材を確保していますが建物がないとその可能性が難しくなります。

そこまで大きな出来事ではなかったとしても、通常教会ではメンバーが一泊ぐらいできますしその為の寝具も確保してあることでしょう。


E その場所でミニストリーを展開しにくい

その教会の場所を用いて、塾や食品や物品を販売するなど世との接点を作る働きがやりにくいです。


F 通行人に教会の存在を認識されない

看板を出すわけではないのでどれだけ多くの人が集会場の横を通りかかっても教会の存在を認識することはできないことでしょう。


G パンデミックなどの影響

今回のパンデミックによって露呈した問題はこれです。
自分の建物であれば、自分のリスクと判断で集会ができますが、借り物だと建物所有者の判断にゆだねられます。 事実、私たちは数か月ほど場所が確保できませんでした。

※ 問題が露呈したとはいえ、興味深いことにパンデミックの初期には、賃貸で場所を借りている他の牧師から私たちのシステムをうらやむ声をありました。

H 教会の成長

教会は少しづつですが成長しています。礼拝出席者は50人を超えることもあります。フェローシップランチには70人ぐらいになる可能性もあります。
いずれ部屋に収納しきれなくなったりいちじるしく使い勝手が悪くなったりすることでしょう。
礼拝を2部に分けることで回避できますが(というか多くの教会はそのようにして次のステップへの機会をうかがうことが多い)その場合は午前と午後両方借りる必要があります。(借りれなければ午後と夜にするという案もあるでしょうが)いずれにしても、現在の状況を見るにあたって数に対する確実な解決策にはならないことでしょう。


I いこいという部屋のランク

部屋の内装を変えれるわけではないので、教会の雰囲気は内装の雰囲気に影響を受けます。
これでも2006年にこの部屋を使い始めた当初よりは内装は良くなっておりますが、人によっては感じ方は違うことでしょう。
別にステンドガラスで飾られたおしゃれな教会である必要はありませんが、人によっては友達を礼拝に連れてきたいとは思いにくいレベルにあるかもしれません。

現在集っている人にとっては慣れ親しんだ愛すべき「いこい」かもしれませんが、それでも中には嫌な人もいて、機会があればこの教会から離れたいと考える人が絶対にいないとは限りません。もしそうだとしたら私たちは潜在的に失うものもあるということです。


J 床に座ることと椅子の数の限界(SCG2030年問題? )

「いこい」は集会の場所しては人気です。まれに視聴覚室に当たった場合には残念という声も聞かれます。

いこいはリラックスできる雰囲気なのでしょう。以前教会に通っていたシンガポール人の青年が寝っ転がりながらメッセージを聞いていたことを懐かしく思い出します。

特に最近は特に赤ちゃんが立て続けに生まれたりしているのでいこいのメリットは大きく感じます。
しかし、もしSCGが高齢化したならそのメリットデメリットの感じ方は変わってくるでしょう。

SCGは今の場所で16年前から集会していますが、当たり前のことですが、当時からいる人たちは当時より16歳年齢が進んでおります。つまり、健康上、身体上の理由で椅子に座りたい人の数は確実に増えているのです。

しかしながら椅子の数には限界があるのです。


K メンバーが奉仕の負担に慣れていない。

私たちの教会には奉仕するチームメンバーとして登録されている人が29人ほどいます。それは感謝なことなのですが、その働きの多くは日曜日だけです。その状態は逆に言えば、平日には奉仕をしないというルーティーンができてしまっているかもしれません。


L 金銭の負担に慣れていない

建物を持つということは多くの出費を必要とします。

たとえば、今私たちが求める建物についての理想を挙げるとしたら、地下鉄駅近くで、大きな通りに面しており、いこいより広い(できれば横に倍ぐらいの広さ)礼拝のための部屋といくつかの部屋やキッチントイレ、十分な数の駐車場を持つ建物って感じになると思います。(4億円程度か?)( いこいのような中庭も言い出したらなおさらか。)

たとえ、 そのような建物がたとえ無料で与えられたとしても、その維持費は現在部屋の確保に支払っている金額よりもっと高くなるはずです。


M チャレンジの機会を失っているというリスク

建物というものは教会にとって最も大きなチャレンジの一つです。カナンプレイズチャーチも毎月の支払いに苦労していたのを思い出します。

それでも、そういった機会はメンバーたちにチャレンジの機会を与え、捧げるチャンスを与えるという側面もあります。

現在の低レベルで収支バランスを維持した状態(※)だと、十一献金以上のチャレンジはほとんどないかもしれませんし、臨時収入で思わぬ収入を得ても捧げる機会だとはとらえれないかもしれません。

※ 正確に言うと、年に数回時折入る少しまとまった献金がなければ収支のバランスはとれていません。

N GOOGLEマップに表示されない

建物を所有していなければ(少なくとも賃貸)グーグルマップに表示されることはありません。もちろん検索エンジンで教会の情報は出てきますが、それは一つの機会を失うことを意味しています。


建物の問題は、いずれかの時点で何らかの解決が必要だと考えられます。

先ほどKで書いた条件の建物の場合数億円の出費が必要だと思われますが、いきなりそのようにしなくても、その前の段階として、とりあえず、メインの集会場を省いて教会の基地的な機能を果たせるミニストリーセンター的な建物を確保してそれを利用していくというのも一つの手だと思われます。

それでも、それとは別に日曜礼拝の場所として区民センターなどを借り続ける必要がありますので根本的な解決には至りませんが。

今回は建物がないことのデメリットだけを書きましたが、もちろん、建物がないことにも大きなメリットがありまし、目に見えないメリットもあります。

目に見えないメリットというものは建物を所有したときに失われることになりますが、困ったことに見えていなかったので失ったことすら気が付かないという状態が起こってしまいます。


いずれにしても、メリットはこう、デメリットはこうという天秤にかけて妥協点を探るというよりは、私たちに与えられたビジョンに従って本当に必要なものは何かについて考え動いていく必要があると思います。


デボーション

ただ単に教会の使い勝手だけで建物を求めたり、金銭的負担を考えてあきらめたりするのではなく、教会の背骨的なビジョンにしたがって何が良いかを主に求めていきましょう。

背骨的なビジョンというのは、さしあたっては「終末の時代に生き残り成長していくこと」「ライフプレイスで活躍する教会」的なものだと思います。