I 3日目:(火曜日)(配信は月曜日)

メリットデメリットを考えることのリスク

私が物事を考える場合常々口にしている言葉は「メリットとデメリット」という言葉です。

確かにどんな悪いと思えることにも益とされる要素はありますし、どんなに良いことであったとしても手放しでそれが良いとは言い切れませんし、たとえどんな良いことであってもそれだけではかえって害になる事さえあることでしょう。


たとえば、私たちの教会の子どもたちの多くは英語を話します。幾人もの子供が小学生で英検2級、中学生で準1級を取得しています。これは良いことですが、これにはデメリットは無いのでしょうか?

ちょっと考えてみてください。
何も思い浮かばない人もいることでしょう。しかし、デメリットはあるのです。

それは、そのレベルほどには英語のできない子供がコンプレックスを抱えてしまう事です。

できないといっても、ぜんぜんできないわけではありません。本人はできないつもりでも、この教会に集っているだけで自然にレベルアップしているからです。

つまり、実は学校のクラスでトップレベルにありながら自分はできないと思ってしまう場合もあるのです。

そういたデメリットがわかるなら、誰かに対して何らかのフォローアップをしていくことも可能でしょう。


そのようなわけで、何かについて考える時にメリットは何かデメリットは何かについて考え、メリットを強化して、デメリットに対してフォローアップするというのは良いことです。

しかし、そのような考え方にも全然隙がないわけではありません。陥りがちな過ちについて考えてみましょう。


@ プラスとマイナスがあるのだから結果的にはどれを選択しても中ぐらいに良いものだと考えてしまうという過ちに陥る可能性があります。

実際にするべきことはメリットを最大限に伸ばして、デメリットの部分を減らすことを考えなければならないはずなのに、その努力を怠る危険がります。


A メリットデメリットを知った時点で物事を理解した気になってしまう危険があります。

ましてや、そのメリットデメリットを自分で導きだしたのではなく、聞かされただけだとしたら本当の思考停止と変わりません。


B 人間的になってしまい、信仰によって歩むという点がおろそかになる。

最終的な決断のカギは神様が握っておられ、私たちはそれを受け取りに行かねばならないにもかかわらず、理性的な考えで終わってしまう危険があります。


(付録)メリット、デメリットについての考え方。

今回の断食週を通じて皆さんに知っていただきたいことは「教会の抱えるリスク」というだけでなく「私の考え方」についてです。これについて「私のメリットとデメリットに対する考え方」を例に挙げて説明しましょう。

たとえば、教会ではコンパクトな電子ドラムを使用しています。
どうしてそれを選んだのかというと「持ち運びを考えて」や「セットアップの簡単さ」という理由は誰でもわかることでしょう。
しかし、この機材にはデメリットがあります。
それは、本格的な演奏技術が学べないということです。本物ののドラムとは感触が違うのである程度の練習にはなっても、本格的な練習にはなりません。つまりデメリットがあるのです。

では、持ち運びやすさ以外にメリットはないのでしょうか?大いにあります。
この電子ドラムをたたいても高慢にはなりにくいということです。

多くの教会の賛美チームにはびこる一つの問題は、賛美チームのメンバーが高慢になるということです。
また、自分のミニストリーに固執して、神様をたたえることよりも自分の活躍を優先してしまう事です。
もちろん、しょぼい楽器を使えばそれを防げるわけではありませんが、一つの抑止力にもなります。

もっとも、運ぶ必要がない街道を持ちながらも高慢にならさせない為だけに簡易な電子ドラムを使うというのはあまり良い考えではありません。 もっとも良いのは霊的に成熟し高慢とは無縁の存在となり、その上で最高の演奏技術を身に着けれたらそれほど良いものはないでしょう。

ただ、人間というものは、自分が思うほど強くはありませんし、誘惑に弱いものです。
ですから、何が一番良いかについて考えるのは良いことだと思います。


 


デボーション

メリットだけに目をとめるのではなく、他の人を思いやることができるように自分を吟味しましょう。

様々な決断に対して主の知恵を求めましょう。