E−2(金曜日)(配信は木曜日)

噂話をしないことのデメリット

私たちの教会では通常の平均的な教会よりも噂話や詮索が少ないように思います。
それは「他人を裁かない」というSCGの文化とも関係していると思います。

噂話や詮索をしないことはもちろん良いことですが、 その良い特性にももしかしたらデメリットがあるかもしれないという視点があることを知るなら、私たちはその他の様々な事柄に対してもいろんな見方があることに気が付かされることでしょう。


多くの教会でそうであるように、私たちも祈り会では祈りのリクエストを出し合います。
その際、一つの事に配慮しています。それは祈り会を噂話の場所にしないということです。

噂話と言っても「ねえねえちょっと聞いてよ!」的な話し方でされるようなものではもちろんないでしょう。

それでも、多くの教会では「祈りのリクエスト」を出し合うことによってが結果的に噂話的になってしまうことがあります。


確かに「私たちは神の家族なのだから、どんな小さな問題もどんどん出し合って互いに祈りあおう」というような教会もありますし、互いに祈り会う祈りが活発であるならそれはそれで良いものとも言えます。


実際、私たちの良い特性が祈り会を妨げているのではと思うこともあります。

というのも、祈り会で出される祈りのリクエストの数は本来あるべき数よりも少ないように思います。

祈るべき課題がないわけではないのですが、個人情報に当たることを避けようとしているからかもしれません。

そうであるなら 、「噂話にならないようにする」とか「境界線を遵守する」などといった教会の良い特性が、必要以上に気を使いすぎる事によって、祈り会が盛り上がることを妨げる事もあり得るのです。


今回のタイトルは炎上商法のようなもので、目を引く為のものです。

こういう記事を書いたからと言って来週からこうしましょう。というようなものではありません。

ただ、感じたことを書きたかったのです。


デボーション

噂話かどうかの一つの判断基準はどのような動機で祈るのかということです。正しい動機正しい心でいることができるように主に祈り求めましょう。