1 日目: エレミヤ6章16節

第一日目は今回のカギとなる御言葉であるエレミヤ6章の言葉の解説から見ていきます。

エレミヤ6:16 【主】はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。・・・・


道の分かれ目:

この言葉はヘブライ語では「デレキム」という言葉で道は「デレク」なので、デレキムは道の複数形です。

そうであるなら、見渡すべき場所は単に道の分岐点だけでなく、常に鳥瞰的(ちょうかんてき)に、つまり鳥の目が空を飛びながら広い視野で物事を見るように見ていく必要があるのです。


いにしえからの:

この言葉は古いというニュアンスがありますが、ヘブライ語では「オラム」といい、その意味は永遠です。つまり、永遠の昔から、永遠の未来に至る不変のものを意味しているのです。


通り道:

この言葉はヘブライ語で「ネティヴヤ」です。その意味は「小道」です。つまり広い道ではありません。このことはイエス様が語られた「狭い門から入りなさい」()という言葉を思い起こさせます。


幸い:

この言葉は、ヘブライ語で「トブ」です。その意味は「良い」で、日常的に使われる言葉です。道は先に説明したデレクで普通の道を意味する言葉ですが、ただの幸いではなく定冠詞付きのトブです。

定冠詞とは英語ではtheに相当する言葉で、つまり、ただの幸いではなく、主にある特別な幸いなのです。


尋ね:

この言葉はヘブライ語で「シャルー」でありその一番の意味は「求める」です。しかし、詩篇122編で「エルサレムの平和のために祈れ」と訳されているように、単に求めるだけでなく祈り求めるということなのです。


ですから、このエレミヤ6章16章の意味は

道々を見渡して永遠の狭い門を通る道、主にある特別な道を希求しそれを歩みたましいに安らぎを見出しなさい。

という意味なのです。


デボーション。

自分の人生や教会の歩みを振りかえて、自分がどの位置にいるのかを確認しましょう。