1日目: 終わりの時とは何か? 携挙のタイミングは決まっていない。
聖書には「終わりの時」という表現が何度が登場します。
その意味は、究極的には最後の審判と呼ばれる裁きの時ですが、その前置きとして、いくつものイベントがあり、時系列で言えば、おそらくキリストの再臨が最初ですが、それを終わりの時と呼ぶ場合があります。
また、パウロが手紙の中で何度か「今は終わりの時」的な発言をしておりますので、広い意味においては、キリストが十時間にかかって死に、よみがえり、救いの型を完成された今、終わりの時だとも言えます。
(A)終末における出来事
これらの流れについて知るために、終末のシナリオの主要な出来事について知る必要があります。
@ サタンの暗躍
A 患難期 (世の終わりの困難な時代)(黙示録13:10)
B キリストの再臨(キリストが戻って来られること)(1テサロニケ4:16)
C 携挙(信者が天に引き上げられること)(1テサロニケ4:17)
D サタンが縛られる(黙示録20:3)
E 千年王国 (黙示録20:6)
F 千年王国の終わりにサタンが一旦解き放たれる (黙示録20:7)
G 最後の審判 (黙示録20:12)
H 御国の到来 (黙示録21:1)
(A) 諸説ある終末のシナリオ
終末論には幾つかの種類があります。
イベントとしては上記の出来事が大体時系列で起こりますが、患難期がどのタイミングであるのかについてはわからないとされております。
@ 患難前携挙節
A 患難中携挙節
B 患難後携挙節
私達のような聖霊派の教会、福音的な信仰を持つ教会の交わりの中で日常的に聞くことができる終末のシナリオは上記の3種類ですが、実は、その枠を超えて、全く異なる種類の終末のシナリオというものがあります。
@ 無千年王国説
これは、今の社会が技術革新や社会福祉が充実することによって、奴隷制度が無くなったり、病気が減少する等を見るにあたって、今の時代が千年王国であるという考え方です。
(B) 再臨のタイミングはキリストも知らない。
私たちはキリストと父なる神が一つであることを知っています。通常、その両者をあまり分けて考えることなく、一つの神と認識してあがめております。
しかし、それにもかかわらず、キリストですら知らされていないことがあるのです。それは(マタイ 24:35)にあるようにキリストがもう一度この地上に戻ってこられるタイミングです。
そのタイミングはすでに父によって定められておりますが、私たちは知ることができないのです。
(C) 再臨のタイミングとは別の理由で患難期のタイミングも決まっていない。
再臨のタイミングがわからないのだったら、それとワンセットで理解されている患難期のタイミングもわからなくて当然だろうと思われるかもしれませんが、それほど丹樹奈もので張りません。
といいますのも、患難期の7年がどのタイミングで起こるのかは、私たちの歩み、抵抗、祈りによってその始まるタイミングを遅らせることができるからです。
@ 祈らず、抵抗しないことによって患難期が早まることによって、携挙のタイミングは7年の患難期の後になります。
B 祈りと抵抗によって患難期が遅れることによって、見かけ上は再臨の時期が早まるので、携挙は患難期の前になります。
A 上の2つのシナリオの中間で、3年半の患難期の後に携挙があります。
多くのクリスチャンが、現在世界で起こっている出来事に無頓着なのは、患難期の前に自分たちは天に引き上げられているとされる「患難前携挙説」を信じているからです。
しかし御言葉の中には(ルカ 21:34)のように滅びが突然やってくるという言葉があるので、つまり、それは天に引き上げられる前に患難があることを示唆しております。
デボーションのポイント
(第1ペテロ4:7)の御言葉を思いめぐらせて、主の前に出ていきましょう。