6日目: 導きを求めるとは神様ご自身を求める事である。


クリスチャンが祈る動機は何でしょうか?

クリスチャン一世の方々の多くは、まだ世にいたときに、神社に行って祈願することがあったと思いますが、その時に何を祈ったでしょうか?

人生の成功や願望の成就、あるいは、健康になることなど、等だったかもしれません。


もちろん、私たちクリスチャンも、そういう祈りをする事には問題ありません。

しかし、世の人たちとの違いは、私達は信じている神様がどのような方かを知っているという事です。

そして、何を期待するかと言えば、単に祈りの答えだけではなく、全てを益としてくださる神様の働きです。

その中には、(ピリピ4章6節−7節)にあるように、神様が与える平安というものがあります。


ある人は、平安よりも、実際的な祈りの答えが欲しいと思われる方もいるかもしれません。

しかし、このパニックにならない、平安、落ち着いて考えることができる、正しい判断というものは、非常に大切です。

シカがライオンに襲われる時に、ただ、ライオンが強いから食べられてしまうというわけではありません。

襲撃にあった時に、助かるケースであっても、恐れてパニックになることによって逃げれなくなるという事も多いのです。

聖霊によって与えられる平安は何にも代えがたいものです。

それは、神ご自身が私たちの内に住まわれていることについての確証だからです。


このことは、私達が導きを求める時にも同様です。

導きを求めることは、神様ご自身を求める事だからです。

このことを理解しているなら、祈りの答えに悩む必要はありません。

もうすでに主は私たちの内にいるからです。


デボーション

導きを求める前に、主ご自身を求めましょう。

祈りによって主から平安をいただきましょう。