戦略的とりなし的な謝罪すべきではない理由

物事にはメリットとデメリットがあります。多くの人はどのような良い行動であってもそれにデメリットも伴うことを知りません。たとえば、韓国ではクリスチャンホームの若者の教会離れが著しいですが、そのひとつの理由は、親の世代が子どもを顧みないで教会活動をしていたからだといわれています。

主に仕えるという良い行動であってもデメリットがあるとするなら、聖書に直接書いていない行動にはもっとデメリットについて考えるべきです。

そして、事実、「和解」という美句によって謝罪を繰り返す日本のクリスチャンが将来の日本の首を絞めることに気がついていないのです。


結果的に教会の首を絞めるので。

日本にある「謝罪ムード」は治安維持法の復活とも言われている「人権擁護法案」の成立を後押ししています。この法律は「言論の自由」に対する憲法違反であり、教会の説教の自由を奪います。
普通の法律は警察が取り締まり、裁判で裁きます。しかしこの法律は日本の国家権力が及ばないところで逮捕され裁かれるという奇妙な法律です。
太平洋戦争時には共産党を弾圧する法律を歓迎し傍観していた教会が、法改正により同じ法律で弾圧されました。
教会は太平洋戦争時の過ちを清算し繰り返さないようにと謝罪をしているつもりであっても、実際には「謝罪」によって同じ過ちに加担し、繰り返すことになるのです。


何かの行動には必ずメリットとデメリットがあります。謝罪運動にはそのようなデメリットがあることを理解しておく必要があります。