熱いか冷たいかであれ (16/02/03)

主が(黙示録3:15-16)で「 あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。 」と語られたように、主は生ぬるい信仰を主は嫌われます。


私は子育てについて教えるものですが、子供を育成する上で一番いやな態度は生ぬるい態度です。体罰といった懲らしめは子供の霊をしゃきっとさせるのに有効なのですが、反抗的な態度を示すわけでなく、表面的には従っているように見える、けれども煮え切らないようなのらりくらりとした態度の場合、一番取り扱いに困ります。

そこで、何か目に見える悪い態度をとったり、嘘や不従順と言った罪の態度を見せるときに、実は私は喜びます。それは子供を取り扱うチャンスを手に入れたからです。

そして、それを、愛をもって適切に取り扱うとき(すなわち懲らしめをする時に)、子供の霊が生き生きとして、笑顔が戻り、親子の関係も良好になるのを体験的に知っています。

参考資料:(YouTube)(親子講演)正しい体罰を伴った子育ての効能・17歳のユースの証言(15/09/24)


同様に主も、私たちは表面的に従っているが心はここにあらずというような態度のときが一番いやなのです。


らい病人ですら旧約聖書では罪の象徴とされていましたが、全身が患部で覆われ白くなった場合にはきよいと宣言されたのです(レビ13:13)。

これは、熱いか冷たいかをあらわしているのです。

神は中途半端は嫌われます。

しかし、もちろん熱くあってください。生ぬるい人は吐き出されますが、冷たい人も取り扱いがあるからです。