従軍慰安婦の真実
従軍慰安婦
これは「日本の軍隊が朝鮮人の女性を性奴隷として無理やり働かせた。」「軍が女性をさらって無理やり連れてきた。」といわれるものです。しかし、これには根拠がまったくありません。
確かに世界中のどこにでも戦争中に軍隊のある場所で身体を売ることで働いていた女性はいましたし、それは日本軍においても同様です。
それらは、民間の業者が許可を受けて営業してたのであって、軍が営業していたわけではありません。
A)動機が無い
当時日本軍がもっとも気を使ったことのひとつは日本軍の兵士が現地で戦争犯罪を犯さないようにすることです。
兵隊が勝手に現地の女性を襲うようでは現地で反日の機運を高めるだけだからです。
それゆえ日本軍が民間の売春業者の営業を許可していたのです。ですから、わざわざ現地の感情を逆なでするようなことを日本軍がするはずがありません。
B)証拠が無い
1965年まで従軍慰安婦はまったく問題にされませんでした。
1989年に済州島(Jejudo)で慰安婦狩りがあったとデマがあったときに新聞記者が調査しましたが「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という85歳の女性の証言を紹介しそれが捏造であることが明らかになりました。
一事が万事、その調子で客観的な証拠は何一つありません。
元従軍慰安婦という女性が証言していますが、彼女の主張はころころ変わり信用できないことで有名です。裁判であれば証言に信憑性が無いとされ却下されるレベルです。
C)いくらでもいた売春婦
今日でも韓国は世界でも有数の売春婦の輸出国として知られていますが当時もかなり多くの性産業に従事する者がいました。ですから日本軍がリスクを犯して女性を連れてくる理由はありませんでした。
D)アメリカの調査では「ただの売春婦」とされた。
「従軍慰安婦について調査したアメリカの公文書」というドキュメントにあるように、アメリカ軍の調査では「従軍慰安婦は戦地で働く売春婦に過ぎなかった。」との報告がなされています。
E)1965年までは誰も知らなかった問題。
1965年に日韓基本条約が結ばれる際に韓国は過去の歴史を根掘り葉掘り調べました。日本がした悪があるなら暴けば暴くほど莫大なお金が入ってくるからです。しかし、その際に、従軍慰安婦の問題は出てきませんでした。
これは異常なことです。このときの調査でそのような話が一切出なかったことは、このことからもそれが事実ではないことがわかります。
F)確かに軍は関与しましたが
日本軍は当時世界でもっとも規律の高い軍隊として知られていました。それゆえ、戦地の売春においても、衛生管理、健康管理など積極的に管理をしました。そのように軍が関与したからといって、それが軍が無理やり働かせたという理論にはなりません。
G)インドネシアの慰安婦問題は日本の公正さを証明する出来事
このような弁明をすると、多少事情に通じている人は、インドネシアのスマラン(Semarang)であった慰安所事件を引き合いに出し、日本を責める人がいるかもしれません。
これは1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に強制連行し強制売春させ強姦したとされる事件です。
これは確かに悪いことでしたが、それに気がついた上司はそこを閉鎖させ現場の責任者を罰しています。
つまり、この出来事は現場においては悪い上官がいたけれど日本の方針としてはそのようなことを許してはいなかったことの表れです。
G)どうしてこれが真実であるかのように取り上げられたのか
それは次の3つの段階を経て、真実であるかのようにされてしまいました。
1)1989年、吉田清治が著書によって「慰安婦狩り」があったことを主張。
2)それに対して日本の朝日新聞がそれが事実であったかのような報道をする。
3)当時の外務大臣河野洋平がそれらの内容を認めるかのような談話を発表。
1)については韓国人の記者が話しの舞台となった済州島の地元紙「済州新聞」記者、許栄善が取材したところ、まったくのでたらめであったことがわかりました。
また、吉田清治自身も1996年に捏造記事であったことを認めています。
2)については2014年に報道した内容を訂正し、記事が真実でなかったことをを謝罪しています。
3)この外務大臣の談話には韓国ロビーが大いに活躍したことが伺えます。何しろ、元慰安婦証言に対して裏づけ調査を行わず一方的に信じた形だからです。
つまり、この従軍慰安婦の問題に関しては、日本政府が認めたかのような発言をした以外には物的証拠も状況的証拠も存在しないのです。
日本の国益を損なった外務大臣の人物像
ろくに調べもしないで従軍慰安婦問題の責任が国にあることを認める発言をして国益を大いに損なった河野洋平は中国におもねる大臣としても有名でした。
彼が外相会議に出席するためタイのバンコクへ向かう途中台風の影響で台湾に緊急着陸しましたが、その際、他の乗客は当然上陸したのですが、彼はただ一人飛行機から降りずに一晩機内で過ごしました。そのような不自然な行動をしたのは台湾を国家として認めていない中国の顔色を伺うためでした。
後日彼が中国の大臣と会った際に、台湾に上陸しなかったことを自慢げに報告しましたが、その大臣から「緊急時は上陸してもよいのですよ。」とたしなめられました。