彼はロシア系で、その家族は、国境を越えてカラカラに永住した最初のペンテコステの群に属していました。幼少時代からエフィムは、祈りの賜物を現わし、しばしば長い断食を続け、四六時中祈っていました。

 カラカラの誰もが知っているのですが、エフィムが十一歳の時、再び主が、徹夜の祈りに召しておられるのを聞きました。今度は七日七晩続けましたが、その間に彼は幻を見ました。(中略)

エフィムは読み書きができませんでした。にもかかわらず、彼がカラカラの小さな石造りの家の中に座っている時、自分の前に、図表と美しい手書きの文字で書かれたメッセージの幻を見たのです。エフィムは紙とペンを求めました。そして、七日間、家族が食事をするための荒削りの板のテーブルのそばに座って、目の前を通り過ぎていく文字の形や図を苦心して写したのです。

 それが終ると、写したものを、村で字の読める人たちのところへ持って行きました。すると、この文盲の子供が、ロシア文字で一連の教えや警告を書き上げていたことがわかりました。いつとははっきり指定されていないが、将来カラカラのクリスチャンはみな、恐ろしい危険に出会うようになる、と少年は書いていました。その辺一帯に、筆舌に尽しがたい悲劇が襲ってくる時を預言したのです。その時には、幾千万の老若男女が虐殺されるというのです。その地方の人々はみな逃げ出さなければならない時が来る、と少年は警告しました。人々は海の向こうの国へ行かなければならないというのです。今まで地理の本を見たこともないというのに、少年預言者は、脱出するクリスチャンたちが行くべき所をはっきり示した地図を描きました。大人たちが驚いたことには、非常に精密に描き出された海は近くの黒海やカスピ海、あるいは遠く離れた地中海でさえもなく、なんと、はるかかなたの想像も及ばない大西洋だったのです。それについて疑問の余地はなく、海の向こうの大陸がどこかもはっきりしていました。地図にはアメリカの東海岸が明白に描かれていました。

 しかし、避難民たちはそこに安住してはいけない、と預言は続いていました。新大陸の西海岸に達するまで、旅を続けなければならない。そこで神は彼らを祝福し繁栄させ、子孫たちを諸国民に対する祝福とする、と少年は書いたのです。

 しばらくして、エフィムはまた第二の預言を書き出しました。しかし、皆に知らされたことは、さらにもっと遠い将来についての預言で、人々はもう一度逃れなければならない時が来るということでした。エフィムは両親に頼んで、この預言を封筒に入れて封をしてもらい、預言について与えられた指示を繰り返しました。幻の中で彼は、将来の預言者――この仕事のために主に選ばれた者――のみが封筒を開けて、教会のためにその預言を読むことができ、時が満ちないうちにそれを開ける者は死ぬであろう、と告げられたのです。

(中略)

 ところが、今世紀に入って少したった頃、エフィムは、五十年近くも前に書いた預言の言葉が成就する時は近づいている、と発表したのです。「アメリカヘ逃れなければならない。ここに残る者はみな滅ぼされてしまうだろう。」

 カラカラのあちらこちらで、ペンテコステ派の家族たちは荷造りをし、ずっと昔からの先祖の財産を後に残しました。エフィムとその家族は最初に出発する群れの中にいました。ペンテコステ派の群れがアルメニアを出発する度に残留した人々はあざ笑いました。懐疑的で、不信仰な人々は――多くのクリスチャンたちも含めて――神は現代においても、現代の人々に詳細で、適確な指示を与えることができることを信じようとはしなかったのです。

 しかし、その指示の正しいことが証明されました。一九一四年、想像を絶する恐怖の時期がアルメニアを襲ったのです。トルコ人は、情容赦のない強引さで、住民の三分の二をメソポタミヤの砂漠に追い出す血なまぐさい仕事に取りかかったのです。カラカラの全住民を含めて百万人以上もの老若男女が死の行進の最中に死んでいきました。他の五十万人は自分たちの村で虐殺されました。(中略)

 少年預言者の警告を受け入れて、アメリカに避難した人々は、非常なショックをもってこの知らせを聞きました。