種子島に漂着しポルトガル人が日本に初めて鉄砲をもたらした出来事であり、これ以後西洋、とくにポルトガルとの交流が盛んになり、1549年のザビエルの来日の道筋となりました。

それ以前から日本の存在は、知られており、ヨーロッパの列強は日本に入っていく足がかりを探していました。

ご存知の方も多いと思いますがイエズス会という存在は中立的な宣教団体ではありません。

豊臣秀吉などが、どうして執拗にキリシタンを迫害したかといえば、それはこの日本をコントロールする力が進入しようとしていたのを知っていたからです。豊臣秀吉はその外国からの力を恐れるあまり、過敏なまでに反応しキリシタンを迫害したのです。

キリシタンたちは、純粋に信じていたと思います。もちろん、それはカトリックというゆがめられた福音の土台、混ぜ物の聖書理解の上ではありました。けれどもだからといって、その霊的遺産を無視して日本の宣教の歴史を明治以降と考えるのは正しくありません。

キリシタンの殉教は主の目に尊いものであり、彼らの血はこの日本にリバイバルが来るのを叫んでいます。

けれども、それと同時にその宣教師を日本に遣わせた国家、そしてその国の背後で働いていた暗闇の力を無視してはいけません。

キリシタンの歴史を再評価するにあたって、今日、キリシタンの殉教が尊ばれている事はよいことですが、ただそれだけで終わってしまい、彼らを迫害した豊臣秀吉や徳川家のみを非難しているだけであるなら、今日のグ口ーバリゼーションの中で誰と戦っているのかを見落としてしまうでしょう。