私の教会の標語のひとつは「みんながグーを出すときにチョキをだす教会。」です。

これは奇妙に聞こえるかもしれません。ある人はこういうでしょう。「みんながグーを出しているのならチョキを出したら負けてしまうでしょう。」たしかにそうですね。もし教会同士で争っているのならそれは負けです。でも私達は教会同士で争ってはいません。共通の敵であるサタンとの戦いです。

もしみんなが同じようにグーを出しているだけのときにサタンがパーで攻めてきたら全ての教会が倒れてしまいます。 ですから、私達はリスクを分散させるためにチョキを出すのです。(3つで相殺されて「あいこになる」という突っ込みはしないでくださいね。)


私達は特徴的な活動をいくつかしていますが、そのひとつは現在建物を持たないで集会していることです。ことの起こりは借りていたテナントビルのオーナが破産して建物を出て行かねばならなくなったですが、その後も毎回場所を借りて日曜日に集まっています。

他にも、そういうスタイルの教会はあります。教会が経済力をつける前、成長する前はまだ土地を買って建物を所有できないのだからお金を貯金するためにそうするのです。


でも私達は単に場所が無いからとかお金がかかるからという理由でしているのではありません。まず、それは神の導きであることです。そしてまた、それによる多くのメリットを見ています。そのメリットとは(1)「教会のメンバーが教会は建物ではなく人の集まりであることをより認識できるようになったこと。」(2)アウトリーチしやすくなったことです。以前教会の建物を会場にしていた「毎週平日午後のアウトリーチの為の子供クラブ」は平均して8人ほどの子供が参加していましたが、今では、3つの子供クラブを通じて毎週40〜50人の(ほとんどが未信者の家庭の)子供達とその親達に接するようになりました。


そういった目に見えるメリットだけでなく、預言的宣言としても有効です。それは借金をしないということです。「経済恐慌でこの先どうなるかわからないから」という消極な理由だけでなく、これまで伝えてきたような「金融システムが諸悪の根源」という認識の中でサタンのシステムに対抗するための預言的行動なのです。

この先、私達がどのように導かれて、どのように成長していくかわかりませんが、いずれにしてもそのような大胆な動きは、教会が使徒的土台に立っていることと、メンバーがそのビジョンを認識していることによってなされてくるのです。


もし私達の方法が、最良の方法でなかったとしてもそれはそれで良いことです、私達が衰えて他の教会が栄えることを意味しているからです。