そして1952年、陸軍犯罪捜査局(CID)の情報員として、ロサンゼルス市立カレッジ[1]を卒業した姉と共に再来日する。米軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教えるために、日本でわずか10ヶ月で朝鮮語をマスターし、すぐ韓国の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供達に英語を教えた。さらに再来日した後は、アメリカ大使館で軍事顧問団に勤務。