2009年 イスラエル祈りの祭典に導かれて

1.イントロ

9月19日(土)朝、みずほトラベルのIさんからの電話。話を聞くと私は関空から出発するように手配してもらったと思っていたのに何の手違いかどうやら成田出発になっているとのこと。

少し手間取ったけれど何とか主に「はい行きます」と答えてイスラエル行きを決めたとき、すぐにIさんに電話し、ツアーの手配をしてもらった。その時、帰りの便がキャンセル待ちと言われ、とにかくぎりぎりまで待つようにと手配を待った。この時、私もIさんも共にどこから出発かを確認しなかったように思う。私はツアーの内容が昨年と同じであるし、琴は大阪にあるので何の迷いもなく関空出発と思っていたし、Iさんも昨年の事を覚えていて(年にたくさんのツアーを組んでいる会社がたった1回の昨年のツアー旅行者を覚えているはずはないのに。。)私がどこから出発するかがわかっていると思っていた。それに申込書にもその事を記入する箇所がなかった。

どちらにしてもツアー会社では確認しなかった会社の責任であると考えてくださり急遽いろいろな手はずを整えてくれた。

一番心配だったのは札幌〜成田便のこと。この日は祝日のため始めに取るときもなかなか大変であった。案の定、便はもう一杯でようやく1席確保できたとのこと。帰りの成田〜札幌便は私が取ることになった。何とか飛行機とホテルをキャンセルし、取り直したがかなりバタバタした。

この事によって何と大切な琴を大久保師に託し、運んで頂く事になってしまった。忙しくお疲れでもあろう師に対して申し訳ない思いで一杯になる。また、NRAのMさんにも琴の梱包などの準備をお願いすることになる。大阪には毎度の事ながら迷惑のかけっぱなしである。しかし、Iさんからの情報では大久保師は今年ビジネスクラスにしたそうで、師が琴を持っていくことになるとエコノミーより運送賃が有利になるかもしれないとのこと。まさかこのためだけに主が私を成田出発にさせられたとも思えないが、大阪への迷惑を考えなければ成田へ行くことは肉体的にも楽であり、また賛美隊が皆成田出発なので共に出かけられることなど気持ちはかなりのメリットであった。


こんなふうにバタバタなのは今思い出すと2008年のイスラエル行きにもあったような気がする。(前日の台風日本上陸で執り成し者にメールしたり、大やけどを負いそうになったりしていた)

さて、少しさかのぼって2009年の導きについて振り返ってみよう。


2.イスラエルまでの9ヶ月間

2009年1月

主が「なぜ、自分の教会でコンサートをしないのか」と言われたと思う。

昨年暮れに北広島の教会でクリスマスコンサートを行ったからこの事から思いが自分の中にあったのかもしれないとも思ったが、祈り続けていたら、年頭の牧師のビジョンとも通じるところがあった。

地域の人々の救い。主がしなさいと言われることをすること、それが主への従順。

カレブ会でメンバーへビジョンを話し、全員一致でコンサートを行うことに決定する。

そんな中、ベネッセ大賞に応募してみようかと思う。以前務めていた会社から「ベネッセ辞めても大活躍」の募集があった。チームカレブメンバーで友人のA・Bに相談して応募することを決める。私が骨子を書き、A・Bがまとめた物を送付する。入賞したら大賞賞金は30万円。コンサートを行う時の費用が賄われることになるはずだ。

3月 ひどい風邪をひいている中、ベネッセから大賞受賞の知らせが届く。A子と喜びを分かち合う。その喜びの中、名古屋での祈りの祭典への参加を決める。今年は北海道では祭典がなく、世界大会が名古屋で行われることに決定していた。しかし、GW中でもあり、参加するかどうかを迷っていた。お琴を弾くのだろうか?という思いがあったが、自分からするのではなく。主の導きを待っていた。北海道の祭典委員会ではすでに行くことを決めた先生方に共に行くかどうかを待たせていたので琴のことは主に委ね、とにかく参加することを決定する。そして参加を決めたとたんにオープニングで琴を弾くことが決まった。

4月 祈っていると一人で賛美するのではなく共に賛美する仲間が必要だと思われた。祈り続けると琴ではなく、踊って賛美する仲間が与えられた。友人Hと「さくら」と「輝く日を仰ぐとき」でオープニング賛美をすることに決定した。

5月 名古屋の祭典奉仕

    琴は昨年イスラエルの祭典後に大阪の「主イエス・キリスト教会」に置いてあったのでNRA事務局にお願いして持ってきて頂く事になった。奉仕終了後、琴はまた大阪へ。(この時すでに今年もまたイスラエルで琴賛美をするのかと思う。)

6月 Hがカレブのコンサートに参加すると名古屋で決め、何だか今年はHとの活動が多くなりそうな予感がする。

  イスラエル行きをHも祈っているという。文化の贖いとの関わりのタンバリンチーム

「マイティ・リバー」のイスラエル行きは昨年から決まっている。

    私は暮れにイスラエルで再び琴を弾くことを夢で見ていたが、この夢が今年かなえられるかそれとももっと先のいつの日のことかがわからなかった。今年のイスラエル祈りの祭典で私も琴賛美をするのか?トム・ヘス師の祈りの塔に琴を置きに行くのか?たくさんの???の中で祈りを強める。

7月 4日(アメリカ独立記念日とは全く関係がないけれど)カレブ初コンサートである。

    準備の段階でこのコンサートは主のご計画だと実感する。出演者に能楽師の幸さん、日舞のH。琴の助けは北広島のU姉とMちゃん。フラチームとのジョイントも兼ねてからの希望通り。教会メンバーの奉仕に助けられて集まったのは150人と祝福一杯であった。K姉のお父さんが救われたこと、お誘いしていた郵便局の女性が初めて教会に来てくれたこと。(彼女はその後、転勤になった。(神様の時は本当に麗しい)

   コンサート終了後、本格的にイスラエル行きを考え始める。

7月29日のHとのメールやりとりを思い返すとこの頃、主からの声に確信を抱き始めている。主からはもっと早くに行くようにと言われていたと思うが、琴で賛美することや、琴をエルサレムに置いてくることが自分の思いなのではないかという気がしてなかなか決心が付かない。ただこの頃ヘス師の「ダビデの幕屋の回復」を読み進めていてその時にマイティーリバーのM師から頂いた賛美CDのタイトルが「ダビデの天幕であったことは確信への一歩となる。

8月 まだ迷っている私。何を躊躇しているのか。ツアー締め切りの時間が迫っている中

たとえ肉の思いであってもイスラエルで賛美することを主は喜んでくださるはずと思い、10日行くことを決める。しかし、主を待たせすぎてしまったのか。帰りの便がキャンセル待ちとなる。執り成し手の方々に祈りの要請をする。Hは先に行くことを決定していてキャンセル一歩手前でOKとなっていた。御心なのだからキャンセルはきっと出ると確信して賛美曲を琴譜へ直す作業を始める。思った以上に簡単に作業が進むので益々確信は強まった。27日、ツアー会社から連絡あり。行くことが決定した。北海道祈りの祭典委員の先生方に覆いとなって頂くことをお願いする。

    大阪へも連絡をし、関空から大久保師と琴と共に旅立つことになる。早めに大阪に行き、旧知の友と会うことも決まって準備を進める。

9月 準備万端と思っていたところへ、ツアー会社からびっくり仰天する連絡が!!

    ツアー会社の方がNRAに連絡した何気ない電話のやりとりから私の出発が関空ではなく、成田になっていることがわかる。この段階でミスがわかったのは主のご配慮と思う。もし、出発日に関空に行っていたら大変な事になっていましたよとツアー会社のIさんは言う。本当に今年のイスラエル行きは思いもしない事が起こっている。サタンの嫌がらせとも思えたが、全ては主の御手の中。航空券もホテルも難なく取り直すことができた。私が成田から行くことで賛美チームが全員成田発になる。琴の運搬を全て大阪の皆さんに託して大久保師にお願いしたことだけが申し訳なく思われる。


2.イスラエルへ

23日:イスラエルに向けて出発の日。夫が休みなので千歳まで送ってもらう。空港で夫と食事をし、成田に向かう。

    成田は第1ターミナルと第2ターミナルがあってちょうど移動するバスの中でHからのメールが届く。「もう着いています」とのこと。バスが思った以上に早く着いたらしい。Hの他にIさん、Tさんと会って簡単に食事を取る。

待ち合わせの場所には次々にタンバリンチームも集まってくる。今回は賛美チームの一員であることを実感し、嬉しくなる。また賛美チームの一人としての献金も頂く。本当に嬉しい。感謝!!

一路、関空へ向かう。一度飛行機を降りて関空出発ロビーへ向かう。大久保師と関空からのメンバー達と出会う。大久保師には今回、突然成田からの参加になり琴をお任せして準備して頂いたことを感謝すると共に謝罪する。大久保師が琴の運賃が安かったわよと笑顔で教えてくださる。やはりビジネス料金になったらしい。(昨年よりかなり安くなっている)昨年同様にウズベキスタン航空でタシュケントへ向かう。

心なしか昨年の飛行機よりいいような感じがする。(機内では写真を撮ることが出来ないので昨年と比べられないが)タシュケントの待合いロビーでは2010年10月に大阪で行われる集会の中の女性大会について祈るようにと大久保師から話がある。大規模な集会のようだ。琴の賛美もできるといいかもしれないとのこと。

イスラエルへ向かう機内ではそばに座っていたユダヤ人のルツさんと話ができる。彼女の両親はホロコーストの体験者であった。Tさんからヘブル語のトラクトと聖書が彼女に渡される。ご主人がツアーコンダクターで友人のいる東京からの帰りだというルツさんは聖書とトラクトを受け取ってくれた。でも、彼女は無宗教でイエスを神だとは信じていないそうだ。ユダヤでは学校で旧約聖書を学んでいるが、新約はないそうだ。多くのユダヤ人がそうらしい。しかし、このように今回のチームはいつでもユダヤの方々に渡せるようにとトラクトと聖書、また、日本的なお土産も用意してきている。ヘブル後の挨拶言葉、出会った国々の方への謝罪文など、中国や韓国などにも行っているチームならではの準備が充分されている。今回は旅行というよりアウトリーチのようだ。


24日:テルアビブに着く。

    昨年はパスポートの顔と違うということで足止めされたメンバーがいてとっても時間がかかってしまったが、今年はそんなこともなく、琴も大切に扱われていてスムーズに入国することができた。昨年の懐かしい顔バラさんことSさんに再会する。

    今年は祈りの祭典での日本人タイムが25日なのでこの日はゆっくり観光から始まる。

    エルサレムに向かう途中でアヤロンの谷を通る。(ヨシュア記10:12)ダン部族(サムソン)が住んでいたという山を通る。石灰岩が多く、日本は石の文化ではないが、ユダヤはどの家も石造りである。聖書の世界のまっただ中にいる。しかし、今は現代。途中で車の事故があり、少し渋滞。契約の箱があったと言われるアブゴーンを通る。

エルサレムでは今市電を作っている最中だ。(町の中を市電が通るように線路を敷く工事が進んでいる。ドイツのようになるのか?)

神殿や西壁は昨年も訪れた場所。一緒にいるメンバーの違いもあるけれど昨年とは少し違った印象がする。そうそう、ここでは何と大阪チームの3人がはぐれてしまった。

まだホテルにチェックインもしていないから会えなかったらどうなるのだろうか?と思ったが、良かった!西壁で再会できた。バラさんは昨年もそうだったけれど多分心とは裏腹に怒りを隠さずにどうしてこうなるのだと怒っていた。

ベテスダの池は昨年同様、世界遺産の旅や古跡発掘みたいな感じでひたすら洞窟を歩く。1日目のせいか歩いてもさほど疲れない。

昼食は昨年も行ったアラブ料理のお店。昨年はあまりおいしいと感じなかったが今年は着いたばかりのせいか、とってもおいしい。パンにいろいろなものをはさんで食べたりシシカバブーも結構いける。しかしコーヒーは苦く、泥のようだ!

観光を終えてホテルに着き、部屋に通されるとベッドがくっついている!!そう言えば昨年もEちゃんとあわててフロントに連絡したような??昨年は部屋を変えてもらったけれど今年はベッドを離してもらってOK。

夕食はあまり良くない。どうしても昨年と比べてしまうけれど昨年の方がよかったような気がする。少しがっかりする。夕食後は祈りの祭典会場へ向かう。(タクシーで行くのは去年と同じ。一人4ドルかかる)

祭典に参加するには登録費が必要である。全参加だと140ドルだという。私たちは全部は参加しないのでいくらになるのだろう。Hが受付の女性とやりとりをする。時間がかかったが私たちは75ドルでよいと言うことになった。これは実は今回の賛美チームに当てられたサポートから集会のために振り分けられた金額と同額であった。主の恵みに全員で感謝!!会場ではすでにフィンランドタイムが始まっていた。

私たちは昨年と同じように会場のステージから向かって左側の席に着く。会場には別経路で来た主イエスキリスト教会のTさん、Jちゃんがいた。また、KさんもH・Kさんと共に参加していた。 

集会途中でHがD先生を捜しに行く。実は今回の目的の1つ、「トム・ヘス師の祈りの塔に琴を置いてくる」というビジョン(昨年暮れに見た夢)を日本にいるとき、Hに話していた。私自身はヘス師と親しいわけでもなく、途方もない計画に思えたが、とにかく行くからにはその目的を果たしたかった。ただどうやってヘス師にコンタクトを取るのだろう?深く考えもせず行ったら何とかなるさ状態の私に比べてHは日本にいるときから忙しい中、いろいろ手だてを考えてくれていた。でどうして?と聞くと「神様がしなさい」と言われたとの事。私がした事と言えば、ヘス師に会ったときに事情を説明する英会話を友人のA子に翻訳してもらったことだけ。あとは神様頼みであった。Hは韓国人で24時間の祈りに重荷のあるD先生にコンタクトを取ったり、ユダヤ人のA氏に話をしたりしていた。メールの返事はなかったもののD先生が会場にいることを祈って探しに行ったのだ。

長い時間Hが帰ってこないのできっとD先生に会えて話をしているのだろうと思っていると、Hがあわてて帰ってきた。話を聞くと、D先生はいなくて探していると彼女の隣に集会中にも関わらずヘス師が横に立っていたのだと言う。チャンスとばかりに彼女は私のビジョンをヘス師に話したところ、彼はとても喜んでスタッフの手配をしバンも準備し、次の夜に祈りの塔へ行くようにと言ってくれたという。何が何だかわからないけれど主が憐れんで全てを支配されたとしか思えなかった。

今回も私はやっぱりいつものようにただ信じただけで何もできなかった。主はHを動かして(多分昨年の集会以来ずっと)幼い私の夢をかなえてくださったのだった。すぐに紹介して頂いたスタッフのダニエルと話をし、次の夜7時に待ち合わせて祈りの塔に行って琴と踊りで賛美し、琴を塔に置いてくる計画を立てた。

大久保師にこのことをお話し、次の夜集会中に二人は祈りの塔に行く事を許可して頂いた。

25日:朝3時半に起きる。私は琴の準備と浴衣の着付け。Hは踊るための頭のセットと着物の着付け。かなり時間がかかると思われたHの着付けも時間通りに出来上がり、6時にホテル1階に集合。タンバリンチームも皆衣装を着ている。タクシーで会場まで行く。会場に着くとまだ扉はしまったまま。スタッフは中にいるようだが、開かない。外で賛美の練習を始める。琴も外で出して準備する。

   7時少し前にドアが開き、中に入る。とにかくステージに琴のセッティング。昨年同様手慣れたスタッフがマイクの準備をしてくれる。他の賛美者たちも準備万端。日本人チームは沖縄からのりえさん達も交えて30人が集まった。

    7時を少し回った頃にヘス師が来て集会が始まった。朝一番の集会のせいか集まりが少し悪いような気がする。100人いないかもしれない。

    その中でまず、大久保師がはじめの挨拶をする。(ホームズ恵子さんが通訳)

     そして賛美開始。まずM子先生が賛美の説明をする。「エルサレムに来られた主」「主に感謝」「永遠の主」を続けて賛美する。タンバリンチームの踊りと歌そして琴の賛美が会場に流れる。「永遠の主」では日舞、韓国の踊り、中国の踊りをする。3曲が終わって大久保師のメッセージとなる。メッセージ後の4曲目の開始に少々トラブルが発生した。なかなかカラオケがでない。待つその間に中国へ行ったときの証をT子さんが中国語でする。期せずして主が下さった証の時であった。時が経ってカラオケの手配ができ、最後の「癒しの川(ワールドバージョン)」を賛美する。

時間がかかったため、琴をきちんとしまう時間がなくなってしまった。柱もはずさずにそのまま会場の片隅に主に委ねて置いてくる。(今夜は祈りの塔行きの琴)

ホテルから今日は観光に出かける。大久保師はヘス師と打ち合わせもあるため観光には参加されない。私はも今年はHもいて新しい発見もありそうなので観光に参加することにした。ツアー参加しなかったK子さんやJ子ちゃん達は祭典を充分堪能されるのだろうなと思う。きっともし来年も参加したら観光はさておき、祭典を堪能したい。(主の臨在の中で)

9時半にホテルを出てまずホロコーストに向かう。ここは昨年行かなかった所。タンバリンチームの要望で行くことになった。記念館は写真を撮ることができなかった。様々な当時の様子や人々の写真、残された遺品(?)が展示されている。カンボジアではポルポト記念館に行って人間の罪に心が締め付けられたが、ここにはそう言った悲惨さは感じられなかった。1つの記念館を出るともう一つの記念館「子供たち」記念館があった。ここはホロコーストで亡くなった子供達の全ての名前が記され、まるで星のようなろうそくの灯火とともに館内では子供達の名前がアナウンスされていた。

ついでダビデの町に行く。ヒンノムの谷を通る。(アケルダマというギリシャ正教の修道院がある)。ダビデの町は昨年も行ったところ。

ホテルに戻り、夕食後祭典に参加する。(好意でバスがチャーターされた)

Hと私は集会ではなく、ヘス師の祈りの塔に向かう準備。集会には全参加パスがあるがHはホテルに忘れてきてしまう。そのため受付を簡単に通ることができず、受付の男性スタッフとしばし、やりとりを続けることになった。結局Hが私のパスを着け、会場内に入り、私は受付で待つことになる。なかなかHが帰ってこない。どうしたのか??少し不安になる。しばらく立ってようやくHが帰ってくるが、どうやら昨日のスタッフダニエルが見あたらないらしい。彼は約束を忘れてしまったのか?心配の中、さらにHが中に行って探すという。

ようやくダニエルが見える。彼は一緒に行けないらしいが新しく一緒に行ってくれるスタッフのシェリーを紹介してくれた。彼女と運転手のアリ(?)と共にバンまで琴を持っていく。バンはかなり大きい。Hと乗ると今度はなにやら電話で話している。どうやら具合の悪くなったスタッフ(?)をホテルまで送ることになったらしい。しばらく立ってそのスタッフがやってくる。咳をしていてとても具合が悪そう。もしかしたらインフルエンザかもとHと少し不安になる。車という密室の中なのでうつらないようにと祈る。(もしうつったら潜伏期間は4日間だから〜などと変な計算をしてしまう)

途中のホテルで彼女をおろし、一路祈りの塔に向かう。結構な道のりでしかもアラブ人地区にあるという祈りの塔。私達は二人でタクシーに乗っていこうなどと安易なことを日本にいたときに考えていたなーと改めて完璧な主のご計画に感謝する。

山の上の塔に着く。今夜は祭典集会に参加しているからここには1人のスタッフがいるだけであった。彼が琴を運んでくれる。中に入り、直ぐに手を洗わせて頂く。(インフル対策)入り口に子猫がいてかわいがる。イスラエルには本当に野良猫が多い。そして多分3階(?)にガラス張りの祈りの塔があった。

屋上で周りが12の門ごとに祈ることができるように門のタイルが貼られている。

ガラス張りの塔の中で琴の準備をする。スタッフのシェリーが興味深そうに見ている。準備の最中。Hとシェリーはお話。準備ができて「ハティクバ」「輝く日を仰ぐとき」を弾く。Hは浴衣姿で舞を踊る。本当は楽譜を持っていった「いつくしみ深き」も弾けば良かったと思う。しかし集会に参加したチームは10時にはホテルに帰っているはずと思うと時間が気になって2曲だけにしてしまった。(私の性格が出てしまう)もっと主に委ねることができたらいいのに、肉的に行動してしまう。が、もしかしたらこの未練がまた今度のイスラエル行きに繋がるのかもしれない。スタッフのシェリーは中国人で中国のラジオ伝道で救われたとのこと。重荷が与えられてこの祈りの塔のスタッフになったそうだ。彼女は写真を撮っていたのに自分たちは賛美しているところを写してもらうことを考えもしなかった(日本に帰ってから記録がないことに気付き、シェリーにコンタクトを取っているがまだ連絡がない)

最後に琴と、楽譜、柱、譜面台などをとりまとめてこの祈りの塔に置いた。いつでも弾ける人がいたら琴で賛美して欲しい。また私自身もいつかまたここに来て賛美したい。祈りの祭典に参加するときにはヘス師にコンタクトを取ってホテルの会場まで持ってきてもらえるのだろうか??そんなことは主に委ねてとにかくこのイスラエルの地に日本の楽器「琴」があることが嬉しい。帰りもアリがバンで送ってくれることになっていた。しかし、ホテル名を言うとその名のホテルは1つだけではないという。どこの場所??全くわからない。電話してもわからない。主とアリにお任せしてとにかく塔を出る。アリに神様が場所を示してくださいますように。祈りつつ、ホテルを探す。一発でアリは私たちの宿泊ホテルを探し出さした。主に感謝!

ロビーに行くと集会に参加した姉妹達と会う。明日の朝は日本人タイムだけれどHと私が参加できるかどうかわからなかったのでモーニングコールのメンバーからは外したとのこと。本当は参加したいけれど、タクシーの予約もされているらしいので断念し、ホテルで祈ることにする。そう言えば集会参加者には面白いことが起こったそうだ。バスが走っているときに車が止まっていて前に行けなくなってしまったそうだ。そこで姉妹達と数人でその車を持ち上げて(?)動かしたとのこと。信じられないことだが、動いたそうだ。そして無事にホテルへ帰ることができたそうだ。

26日:朝、ならないはずのモーニングコールがなる。??の中、Hと起きて集会の祈りに参加しようと準備を始める。ロビーに行くとタクシーも準備されていた。主が参加させてくださったに違いない。この日の祈り会は日本人タイムだ。今年はタンバリンチームの踊りと旗、S師の歌(キーボード)と盛りだくさんである。

  大久保師のメッセージは神の祝福「産めよ。増えよ。地に満ちよ」創世記から黙示録まで主の祝福は一貫して変わらない。主は人に「万物を治めよ」と言われた。

  多くの人は願いが叶うことを祝福と思う。神はその主権によって祝福する。神は栄光をもらうと与えることができる。神には足りない物はない。愛と真理を受けて流す。アダムとエバは神に背き、サタンの支配を受けた。死は神との分離。肉体が勝手に善悪を知り、決めるようになった。霊ではなく、肉体で神を判断するようになった。人間はサタンの支配下にある。呪いを受けてエデンから追い出された。産みの苦しみや年を取ること、体は永遠に生きられず病気になり、死ぬようになった。エデンでは栄光に輝いていた。イエス様が網を下ろせと言ったとき、魚がイエス様の言葉を聞いて従った。エデンでは万物が人間に従っていた。イエス様がイチジクに命じられたときはイチジクのなる季節ではなかった。人間的には普通のことだが、イチジクはイエス様に従わなかった。そしてイエス様はイチジクを呪われた。嵐を沈める、海を歩くなど天地万物はイエス様に従う。イエス様は呪いを受けて下さった。父なる神は人間ではなくイエス・キリストを裁いた。イエス様を通して呪いから解放された。イエス・キリストの御名と言って呪いから祝福に変えられる。(以上大久保師のメッセージから)

ホテルに帰り、朝食を済ませてまた私たちは観光へと向かう。バプテスマのヨハネの教会やマリアとエリサベツが出会う訪問教会を見る。この教会にはマグニフィカト(主をマリアがほめ歌う)が世界の言葉で書かれていて日本語もあった。

園の墓にも行く。ここはイギリス人が19世紀にこここそイエス様のお墓のあった場所ではないかと言い、プロテスタントの教会が多く認めているところ。

昼食は昨年と同じ日本食のお店。ここで働くユダヤの青年にトラクトを渡す。その後歩いているとちょうど通りの真ん中に踊れるような場所があり、数人がタンバリンで踊る。炎天下のため近くに留めてあったバスに乗ってダンスを眺める。

ここで踊れるとは思いも依らなかった。(もしかしたらチームカレブも演奏できるか)

ベツレヘムへ向かう。昨年はベツレヘムの中から車で迎えがあり、バスを降りて乗り換えて行ったが、今年はチェックを受けてバスのまま中へ。

バラさんの懇意にしているお土産やさんで心行くまでお買い物タイム。最後の最後にHと私は金と銀のダビデの星のペンダントヘッド購入にこだわってしまい、皆を待たせて購入した。(昨年は迷って買わなかったので今年は買ってしまった)迷ったら買いなさいというのがバラさん流。悔いが残るよとの事。その通りかもしれない。だからと言うわけではないけれど買って良かったと思う。

夜は最後の祈りの祭典集会参加。フィンランドタイムと若いロシア人のパスターが証をされた。

27日:朝は朝天祈祷には参加せずホテルの部屋でそれぞれデボーションタイム。

 ローマ書9章・ホセア書・詩編150・Tサムエル17章38節

主が必要なものを与えられる。主が与えられたもの以外を身につけてはいけない。それは重くて前に進むことができなくなるから。イスラエルとの関わりやイスラエルの民への思いで胸が熱くなる。(涙が出てくる)そんな中に見た幻は無数の宝石。主が下さるのはこの宝石か。突然昨日のタンバリンチームを思い出す。大通りで踊った事。チームカレブもあのようにこのイスラエルの地で賛美することができる。今まで不可能かと思われたけれどバスで機材を運び下ろすことが可能だし、バスを停めてその近くの場所で賛美することができる。琴を運びながら歩き、大変な思いをしてどこかで弾くのかと思っていたが、そうではなく、バスで運んで行くことができる。そのようにツアーを組めばよい。観光は観光。賛美するのはどこの場所と決めておくとよいのだ。まさかビアドロローサを琴やその他の機材、楽器を持ちながら歩くわけには行かないから、観光と賛美することをきちんと分ければチームカレブのイスラエルアウトリーチは企画できるに違いない。そういう思いが与えられる。単純な思いつきかもしれないが、考えて準備することはできそうだ。(外で賛美できるように琴のアンプを購入したり発電機も準備する必要があるかもしれない)それにバラさんのようなツアーガイドさんとの企画。教会賛美と路傍賛美の両面を考える必要もある。ヘブル語のトラクトや聖書も準備できるようにしたい。カレブのアウトリーチはいつどのように主が行わせて下さるか今は検討もつかないが、このビジョンは主からのものだという気がする。なぜならもうすでに今回バラさんとはいろいろ話をしてみたし連絡先の名刺も頂いた。S師からヘブル語聖書・トラクトの手配先も教えて頂けるようだ。

めずらしく早く7時45分にホテルを出発。エルサレムとお別れだ。今夕から明夕まではキム・ヨプール(大贖罪日)が始まる。そろそろ交通規制の始まっているところもあるが、無事にクムランからエリコヘと向かう。このエリコは昨年は来なかったところ。海抜0メートルの山は昨年と同じ、ラクダのおじさんがいる。昨年買おうと思って買わなかったアクセサリー類を見るが、今年はあまり興味がわかなくて結局今年も買わなかった。昨年より早めにこの場所を去る。エリコ入る前から誘惑の山が見え隠れしている。エリシャの泉やザーカイのいちじくの木などを見る。誘惑の山へ向かうロープウェイがあるのはちょっとした驚き。エリコの町を通って死海へ向かう。昨年はAHAVという死海の塩で作られた化粧品の本社に立ち寄ってから死海へ向かったが、今年はまっすぐ死海へ行く。昨年はここに温泉があったのでバラさんに聞くと昨年とは全く別の場所であるとのこと。そう言えば昨年は有料の場所であった(ただ私たちは化粧品会社の無料券を持っていた)ここは所謂市民のための無料の場所という感じ。昨年は泥のパックができなかったけれど今年は思う存分体に塗ってみる。海水で洗い流すと体はツルツルである。ミネラルたっぷりの死海。エステ効果は大きい。充分楽しみ、その後、もしかしたらやっているかもしれないと山上の垂訓教会へ向かったが、やはりキムヨプールですでに閉まっていた。残念だが、ガリラヤ湖畔のホテルへ向かう。ここも昨年とは全く違うホテル。キブツだと言う事だが、昨年がキャンプ場のロッジだったのと違ってホテルの様相がある。ここでもHと私は仲良く同室。大久保師は一人部屋である。全員一度部屋に向かい、身支度をしてからいよいよ今日は聖日礼拝の時をもつ。少しゆっくりしすぎて時間が過ぎる。まだ支度のできないHを置いて大きなホテルの方へ向かう。予定されていた集合場所にはすでに誰もいない。一回りするとそこにイスが置かれていて礼拝が始まろうとしていた。あわてて着席する。大久保師はきちんと正装されている。メッセージは「祝福と恵みの違い」呪いから解放されて神様が祝福する。もらう資格がないのに無代価でもらう。大久保師の証もあってメッセージが進んでいく。聖餐式も受けることができた。ワインとパンはエルサレムのホテルから頂いてきたものである。(ちゃんと準備がされていた)

28日:キムヨプール(大贖罪日)日本で今回の予定を立てた時から懸念はされていたようだが、大久保師は行ったら何とかなるだろうと思ったそうだ。しかし、この日は本当にバスは動かないし、観光の教会は閉まっているという。私たちは恵みの1日をガリラヤ湖畔で過ごすこととなった。朝、4時から6時までは湖畔で早天祈祷。湖畔ではなく、ホテルに近いところでそれぞれで祈る。終わり頃にはタンバリンチームがストールを持って祈っている各自の周りに来て祝福を祈って下さった。とっても気持ちがいい。感謝!!

朝食後は大久保師のセミナーの時となる。この日も「祝福」について。創世記1章1〜5節。ローマ書1章。使徒17章24〜29節。食後は部屋に戻り、2時間ほど寝る。この間にHは外でデボーション。

昼食はランチパック。箱の中にいろいろな物が入っていて面白い。ロビーのソファに座って大久保師と一緒に味わう。午後は何をしようか?ガリラヤ湖に行って少しゆっくりしましょうと言うことになる。一度部屋に戻り、準備をしてから大久保師、H、私の3人で湖畔に向かう。海辺で大久保師は座り込んで寝てしまう。私とHは貝殻を取ったり、楽しい一時を過ごす。私は日差しが熱くなってきたのでテントの張っているイスのあるところで少し休むことにする。少し休んでいると大阪から合流したS姉妹がやってくる。彼女は少し悩んでいることがあるという。ここに私が居たことはもしかしたら主がこの姉妹に聴いてもらいなさいと言っているのかもしれないと言う。私でいいのでしょうか?と聞き、彼女の話を聞き始める。彼女も私と同じように人間関係でつらい思いをしているとのこと。話を聞いていると大久保師とHが歩いてきて、泳ごう!と言う。さほど泳ぎたいという気持ちにならない。大久保師はこんなチャンスは滅多にないのだから泳いだ方がよいとしきりに進めてくださったが、話も途中だったのでS姉妹が「カウンセリングしてもらっているので」と言い、私たちはそこでしばらく話を続けることとなった。話を聞いて主が介入してくださり、委ねることができるようにとお祈りをした。その後、話をしてすっきりしたS姉妹が私たちもやっぱり、泳ぎましょうと言い、泳ぐことになった。水着に着替えようとホテルに戻り始める。途中大久保師とHがすでに水着を着てやってきた。二人の後ろ姿を写真に撮り、私たちも急いでホテルに戻る。部屋で着替えて再び湖畔に向かう。大久保師はなぜかシャワーキャップをかぶっている。それは昨夜綺麗に髪をセットしたからだという。泳ぎの下手な私は恐る恐る湖の中へ入っていく。すでに数人が泳いでいたが、それほど深いところではないので安心して泳ぐようにと進める。顔をつけて泳ぐことがいやだからと言って私は背泳ぎを始めた。大久保師もなぜか一緒に背泳ぎをする。せっかくシャワーキャップをかぶったのに背泳ぎのせいで髪が濡れてしまう。札幌では今年一度も泳がなかったがまさかガリラヤ湖でこんなにゆったりとした気分で泳ぐことになろうとは。全ては神様の恵み。キムヨプールのお陰。大久保師は来年もこのゆったりした時を観光の中に入れたいと言う。期せずして素晴らしいセレブの時間を過ごせた。主に感謝。

夕食からはちゃんとした食事に戻る。とってもおいしい食事。満たされた後は最後の大久保師セミナー「サタンの策略について」全員が参加した。黙示録とイザヤ書14:12、マタイ4章。さすがに疲れてうとうとする人も出てきたが、10時頃には散会。明日はイスラエルともお別れだ。

29日:最後の早天祈祷。この日は湖畔まで出ていき、祈る。(昨日泳いだ場所)波打ち際で異言で祈るのは何とも気持ちがいい。祈っているうちにタンバリンチームの何人かが突然海に向かって走り出し、泳いで行った。また旗を持って祈ったり、にぎやかな早天祈祷となった。昨日は閉まっていたショップが朝、開くという。最後まで何かを買えるのかと期待して朝一番で食事に行く。そして早々に済ませてショップへ行く。すでに数名が来ていたが、聞くと食事をしないでまずショップに来たのだと言う。みんな買い物への意欲がすごい!前の日にガラス越しに見た白いチュニックを買うことにする。またグラスやタンバリン、ペンダントなど安くて素敵な物がある。次々にメンバーが集まってきて買い始める。でも店員さんはたった一人。とってもレジに時間がかかる。すでに出発の時間が過ぎてしまい、ついにバラさんがやってくる。そして大久保師もあきれ始める。何とか店員さんが1人増えてやっと買い物が済む。

  ギネレット(竪琴)湖を目にして山上の垂訓教会へ向かう。ここから山を3キロかけて降りることにする。イエス様と12弟子達も歩いたであろう山道を歩く。そして主が大宣教命令を出されたと言われる場所で記念撮影。また少し歩くと主が休まれたのではないかと言われる穴でも記念撮影。気持ちのいい山歩きとなった。

再びバスに乗って今度はカペナウムに向かう。マタイ4章=イザヤの預言に従って悪霊を追い出し、癒しをされた場所である。ここには猫の家族が居た。次々と私たちの周りに来てとても愛おしい。バラさんのガイドをそこそこに猫たちにえさを、と言ってもHが持っていた柿の種だが、あげると子猫もおや猫も嬉しそうに食べていく。次にパンと魚の教会へ。


ガリラヤ湖で船に乗る。

ここにもショップがある。昨年も買ったのだが、綺麗なストールがあった。タンバリンチームはここで角笛を大量に購入する。私はエリコのショップでイチジクやナツメヤシの実を購入したときに素敵な角笛があってそこですでに購入していた。(素敵と言えばエルサレムのホテルでも皆いろいろ買い物をしたのだが、そこのショップに銀細工を施した素敵な角笛があったが、これはS師が購入された)

船に乗ってからショッピングをすることにして乗船開始。昨年同様、ここでは日本の国旗掲揚と国歌が流れる。「日出ずる国は〜」と歌ったり、タンバリンチームは自由に賛美歌に合わせて踊り出す。Hが私の弾く「ハティクバ」をIフォンに録音してきてくれていてそれを流して皆で踊った。バラさんも生でハティクバ斉唱!バラさん祝福の時も持った。まさかHが「ハティクバ」を持ってきてくれているとは思っていなくて本当に嬉しかった。感激!まるでこの場で琴で主を賛美したような喜びとなった。昨年はゆっくりガリラヤ湖上遊覧をしたが、今年は踊って歌って賑やかなうちに湖上遊覧が終わってしまった。しかしとっても素敵な時間であった。

ガリラヤ湖からカナへ。主がされた一番はじめの奇蹟の場所。その後、告知教会(聖母子の絵がある)ここで不思議な絵を発見。中央にある聖家族の絵の上部にフリーメイスンの印が描かれていた。教会はカトリックの教会だが、このように教会にもフリーメイスンが入り込んでいるのだ。このあとはヨセフの教会へ。ヨセフの仕事場がある。その近くにまるでお賽銭投げ込みのような穴があり、たくさんのお金が投げ込まれていた。

そして今回も最後の観光地はカイザリアだ。ここは映画ベン・ハーなどに出てくる競技場はコロシアムがある。円形劇場では何かコンサートでも行うのかたくさんのイスをセッティングしたり、スピーカーから音響が聞こえてきていた。

地中海からパウロなどが伝道に出かけていった場所。その砂浜でまた貝殻を拾う。

全ての観光を終えて空港へ向かう。昨年は空港内部まで着いてきてくれてスーツケースのチェックなどにも付き合ってくれたバラさんは今回は空港の外でお別れ。数枝ちゃんからのお土産もすでに手渡し、手紙と本を預かった。名刺も頂いた。いつか直接イスラエルへカレブが来るときにバラさんがツアーコンダクターをしてくれるのだろうか。思いは募るがこれも主に委ねる事とする。今年もやはりスーツケースを開けられることになった。大久保師だけがチェックをパスする。私は女性が担当してちょっとだけ見て直ぐに締めていいとのこと。何を見たかったのか。隣でタンバリンチームのK姉がしつこく中を見られて怒ってしまっていた。TAXも無事に戻り、ここでも最後のショッピング。Hを始めあまりイスラエルらしいお菓子類を買うことが出来ていなかった私たちはここでイスラエルのお菓子を買う。行きとは逆の行程なのでこのテルアビブから今度はタシュケントへ向かう。今回の旅は本当に迷子がよく出る。なぜか狭い空港の待合室からKさんが居なくなる。確かにトイレにいてパスポートを持ってくるようにと言われて出ていったのだ。それなのにどこにもいない。もしかしたら違う団体に着いて言ってしまったのではないか。そう思って探しに行くとやはり違う団体の中にいた。大久保師も一安心。しかしこのあとKさんから目が離せない。飛行機に乗るまで大久保師も緊張されたかもしれない。帰りの飛行機はかなり空いていた。それぞれ座席を変更し、私も二人分を使い、ゆっくりと足を伸ばして、寝ることができた。感謝!

成田へ到着。昨年はここで東京チームと別れ、私は大久保師と一緒に関空に向かったのだ。しかし今年は手違いで成田から帰ることになっていた。琴をイスラエルに置いてきたこともあって大久保師に迷惑をかけることもなくなっていたので気持ちは楽になっていた。お別れを惜しんで全員で記念撮影をする。大久保師は何か言いたそうにされたが、聞かずに分かれた。東京組は出てくる荷物を待って全員で外に出る。T子姉のスーツケースがなかなか出てこなかったが時間もなく、それぞれに分かれていった。Hともここでお別れ。私は空港に近いホテルに泊まる。ネットで朝食付きの格安宿泊を予約してある。シャトルバスに乗ってホテルへ向かう。私もかなり旅慣れてきたか。日本に着き、一安心。


1日:朝、5時30分起床。黙示録のデボーション。久々の日本食に満足する。ゆっくりと札幌へ向かう。札幌では夫がバス停まで迎えに来てくれていた。昨年は像のようになった足を見せに病院へ向かったが今年はそんなこともなく無事に帰宅。今年も夫と寿司で夕食をしてやっと日本に帰ったと思う。


4.考察

今回の旅は主が来なさいと言われそれに応えて(少し手間取ったが)主が全てを準備して計画を立てられ導いてくださったものであったことが旅の途中でもはっきりしたが、帰ってきてからも益々はっきりとした。

 主からの招きにはっきりと「はい」と応えることが重要。応えればあとは全て主がして下さる。そして「主よ貴方がされたいことはなんですか?どうかその事をなして下さい。そして私をそのことに使ってください」と主の前に自分を差し出すことだと思う。

 これから主は私に何をさせたいのだろうか?もしかしたらと思うことはあるが、まだ確信がない。ただ、日本人として日本の文化に関わる者としての私を主は使いたいのではないかという思いはある。それはHとの出会い、また琴をイスラエルに置いてきたと言うことから。

 日本に帰ってきてから主がして下さっていること:

 昨年は個人的な祝福が多かったように思う。しかし今年はチームカレブの活動の上に大きくその祝福があるように思う。老人施設でのミニストリー、また他教会での奉仕が期せずして与えられる。この二つの奉仕にも主は文化の事を語られたように思う。

 昨年から文化を通して日本のリバイバルがあると感じ始めているが、まだまだ延長線上に私とチームカレブがいると思う。どのように文化が日本人の救いに繋がるのかまだわからない。しかしそこに主の御手が伸び始めていることを感じる。「日本民族総福音化運動」を通して主が私に教えて下さった事、さらに10月末に直島で行われたベネッセの表彰式時に出会ったOGOBの人々や直島家プロジェクトの見学で主が私に見せたかった事など、イスラエルからまだまだ続いている主からの語りかけに耳を澄ましてしっかりと聞き、心に刻んで2010年以降も主に使って頂こう。

2010年には1年ぶりの北海道の祈りの祭典、またその前の沖縄での祈りの祭典がある。そしてギデオン全国大会やリバイバルジャパンの開催、フランク・グラハム師の集会などがある。その中で主が働きなさいとおっしゃったことを間違いなくしていくことができるように。また、日本民族の救いに日本人として関わっていくことができるように。そしてイスラエルへのチームカレブアウトリーチの実現に向けてますます主に期待して委ねていくことができるように。全ては主がなさること。この地に主が来られるその日まで忠実に主の声に聞き従っていきたい。