2012年ハイファ、エルサレム琴奉仕の旅

イエス様とペテロの関係を通して主が語られた事?

 

思い起こすと5度,目のイスラエルは主がもう一度これからも私をイスラエルで使われる前に確認させておきたかった旅と言えるような旅であった。

2011年11月20日 日本人集会の場で石堂ゆみさんが「来年3月、ハイファ大学で琴を演奏しませんか?」と聞いたとき、私の思いはまさか3月に?4ヶ月後にもう一度イスラエルに来る事などはっきり言って無理。というのが正直な気持ちであった。もちろん内心は来られたらどんなにいいか。とも思っていた。

11月末になってハイファで賛美するのが神のご意思ではないかと思い始める。

夫に「行こうかな」と言ってみる。大きく反対される事はなかった。イエスという事もなかったが、こういう時は事を進めてもいいというサイン。

声をかけて下さった石堂さんに確認のメールをする。メールの中で琴の運搬に関する話が出た時、ゆみさんはエルサレムからハイファに琴をどのように持って行くのか?琴を運ぶという事がネックになって「断念しましょう」というメールの返事がきた。

このメールが来たとき、運搬方法に関していろいろ提案して結局ゆみさんが断念されたならハイファでの賛美はなしになってもしかたがないかという助教だった。

12月に入り、ほぼあきらめかけた頃にイスラエルから石本よしえさんが日本に帰って来られた。よしえさんが帰って来ている事をゆみさんに伝えると「よしえさんが空港まで琴を持って来てくれたら」と言う。

日本のよしえさんにどう連絡をしたらいいのか。PCは日本ではほとんど見ないというよしえさん。自宅にいるのか。連絡先をカレブのメンバーでよしえさんと同じ教会のT姉に聞いてもらう。あっという間によしえさんに連絡が取れる。いつものように「いいですよ」という返事。彼女には神の働きに関して躊躇するという事がないような気がする。

ゆみさんに連絡し、ハイファ行きが決まる。

またしても神は私をイスラエルに呼んで下さった。


1月から2月はバタバタしながら過ぎて行った。今回は一人ではなく、加古川バプテスト教会のミニストリーチーム8人と一緒の旅のせいか、緊張感がない。

航空券だけ取って、ゆっくり準備を進める。

3月に入り、風邪が流行り出す。

私はひかないという気持ちがあった。しかし、出発直前 多分、夫の風邪がうつった。鼻と咳、熱も少しあるようだ。

ここまで来ていて行かないことは考えられない。

私はひたすら癒しを求め、薬も飲まず、主に従った。夫には大丈夫な振りをしていた。

そして

3月20日イスラエルに向かう。

 


ハイファ大学での琴賛美は体調不良にも関わらず、主を見上げて賛美する事ができた。

私の喜びは弾き終わってからユダヤのおじいちゃまが喜びを伝えに来てくれた事だ。良かったと言ってくれた彼にカレブのCDをプレゼントできた。多分まだイエスさまを知らない彼。私は神が琴でイスラエルの人々に慰めと癒しを与えなさいと言われているとずいぶん前から感じ始めている。だから11月にも「日本から来たエンジェル」と私の事を呼んだ男性やマイムマイムで踊ってくれた男性達を思い出し、今回のおじいちゃまを思う。

体調が元に戻らない中、家に泊めてくれたソフィアの親切に感謝し、彼女を思って涙を流す。彼女の救いを本当に心から願って主に祈る。こんな事ができるのも神がイスラエルに呼んで下さるからだ。一人一人の顔を思い浮かべ、名前を出して主に祈り求める。イスラエルの救いを。


琴の賛美が終わり、加古川ミニストリーが終了して観光を楽しむ日々が始まる。

主はこの観光の中で私にたくさんの事を語り、私と主との関係を再確認させて下さった。

実のところ、観光はハイファ大学でのイベント前のホロコースト記念館(ヤドバシェム)から始まっている。

ツアーガイドのアンデレが「ここから見学を始めるツアーはまずないでしょう」と言うこの記念館。

確かに第二次世界大戦時にナチスが行ったユダヤ人抹殺計画による大量殺人をこの目で見るのは辛い。

今回で2度目の来館だが、1回目以上にユダヤの人々の傷みが迫ってくる。2009年よりもきっとユダヤの方々に対する思いが深まったからかもしれない。

アンデレは「この傷は神にしか癒す事ができない」と言う。確かにそう思う。

現在のイランとの事に関しても「やられる前にやる」とい過剰防衛とも言える姿勢を崩さないイスラエル政府。再び、殺される事は絶対にあってはならない。という事だ。様々なイスラエルの外交政策にこの傷が現されているとしたら、本当に切ない事だ。私達はもっといろいろな側面からイスラエルとイスラエル人のために祈って行く事が必要だ。

様々な部屋があって廊下を進んで行くとその先は出口になっている。外への出口はまさにイスラエルの未来への希望とも言える作りになっている。

単純に過去の出来事ではない、この大きな事を通しての神の計画が未来に向かって希望となるように祈り続けたい。


琴をハイファに運ぶ必要があって、お願いしていたよしえさんとBFPのフードバンクで再会する。

このフードバンクに初めて来た時とは違う懐かしさが込み上げる。今もあの時と同じように働く旧知の人々と会うともう一度この場所でイスラエル人のために働きたいと思う。ここで働く人々を少し羨ましく思ったりする。

神がお赦し下さればまたこの場所で働く事もあるかと思う。


カルメル山登山

少しずつ回復へ向かっているとはいえ、まだ体がだるい私にゆみさんが「少し荒療治したほうが治るのではないか」と言って一緒に登山開始。(確かに具合が悪いからとひとりで大学に残るのはもったいない)

元々登山は好きではないが、きれいな花々をガイドのアディさんが説明してくれての楽しい登山となる。途中で大きな洞穴があり、そこはエリヤがバアル神を拝む人々と対決した所かと言われている。

ここでエリヤはたった一人で神だけを信頼して戦ったのだ。神への信頼の迫り第一歩。エリヤは神と共に勝利したが、その後イゼベルを恐れ、逃げることになるが、この事も私には良い教訓だ。


カルメルアッセンブリーでの礼拝

今回も主任牧師のデイビッド師のメッセージ。

雅歌2章からのメッセージはこれもまた主に語られっぱなしの「相思相愛」の関係に関してだった。

主は小さな箱(それは自分の家庭や生活かもしれない)から出て来なさいと言われる。そして共に働こうと言われる。人の声ではなく、神の声に耳を傾け、聞いて行かなければならない。神がなさろうとしている事に反抗するのではなく、もっと高い所に一緒に行こうと言われる神と共に進んで行く事。

神以外の事に目を向ける事はできない。神がされる事から目を離さずにいる事。

主との関係について再度の迫り。


ナザレ

イエスさまが突き落とされそうになったという崖に立つ。ここからの眺望は素晴らしい。メギド、タボル山が見渡せる。

イエスさまに反抗して突き落そうとした民達。そこをすり抜けられたイエス様。


ナザレ村から受胎告知教会へ

イエス様の時代の再現というが、今回の私には特別に感動する場所ではなかった。

また、受胎告知教会では今日がマリアへの告知があった日という事でカトリックが盛大にミサを挙げていた。

ここも特別思いはない。

 


ガリラヤ湖畔

昨晩からの宿泊はここのユースホステル。

湖畔に面した部屋に泊まり、朝早く起きて湖畔でデボーション。

ヨハネ6章を読む。

ちょうど過ぎ越しの始まりの頃、5000人の給食がある。しるしを見たからではなく、満腹したから信じたのかとイエス様が言われている。

昨年11月のイスラエルでの生活はまさに祝福の連続だった。私は満腹してまたイスラエルに来たのか。そうではない事を主は迫って聞かれているように思う。11月とは全く違う今回の旅。体調が最不良での旅とミニストリー。それでもあなたは私と共に仕事をするのか?と言われているような気がする。

いろいろな思いが巡り始める中、イエス様は確かにこの湖畔で祈られたかと思うと気持ちが落ち着く。

デボーションのあとは全員で賛美、礼拝の時となる。

T列王記19章から

エリヤはかすかな声を聞いて洞穴から出る。声を聞き、外に出た時に主が次にする事を告げられた。そして後継者エリシャを与えるという約束。

神の声を聞き、御言葉に浸り、新しい出発がある。

神は私達と共にいたい。神を愛する事、夫婦のような関係を持つ事を望まれる。

 


山上の垂訓教会からのハイキング

山上の垂訓教会内は入っても仕方がないのでとアンデレが言ってそこは素通り。

そのまま、ガリラヤ湖に向かって降りて行く。

3月は緑が綺麗だ。たくさんの花が咲き始めている。

ここは2009年にも歩いた所だが、9月とは景色が全く違う。バナナ農園ではバナナがなり始めている。イエス様はこの場所で弟子達を歩かれ、民衆に語りかけられたのだ。なぜ、このガリラヤでイエス様は福音を語られたのか。この場所はレバノンとシリアに行く2つの道が通っている所でヘロデ王の息子達がそれぞれに管理していたところ。異邦人、ローマ兵など様々な人々の集まる所だったのだ。

 


召命教会

ガリラヤ湖畔に建つ教会。

ヨハネ21章

復活されたイエス様と弟子達が会った場所。ペテロは多分復活されたイエス様に合わせる顔がないほどに落ち込んでいたかもしれない。「漁に行く」と言った彼はもうこの世で仕事をして行くと決心しているかのようだ。しかし、魚は一匹も穫れない。「イエス様だ」と言った弟子の声に彼は上着を着てガリラヤ湖に飛び込んでいる。イエス様が穫りなさいと言われたら魚は153匹穫れたのだ。そして弟子達に朝食まで用意された。

復活の主のすごさもさながらにやはり私はここでも「私を愛するか」とペテロに聞かれた主の声が私への声にかぶさった。

ここに来たのは3度目。それも重なって「私を愛するか」「ここにいる誰よりも」と言う主からの迫り。私は「はい、愛します」と言いながらも本当に主へ愛する態度を、行いを、取っているのか。主の愛が私を包み込んでこんな私ですがよろしくお願いします的な答えをしてしまう。

少しずつ、少しずつ、主の愛に近づいて行くのだろうか。主との愛の関係に陥ってしまった私は「主よ、いつもイスラエルに導いて下さい。ユダヤの人々の癒しと慰めに琴で賛美させて下さい。」と願って答えとした。

 


カペナウム

ここは多分ペテロの母を癒されたり、多くの人々を癒された場所。当時の家庭集会の場所であったと言われる。ローマ兵の隊長や異邦人も多く集まって来ていただろう。当時のリバイバルの場所であったかと思われる。

イエス様がここガリラヤで福音を伝えられたのは特にこの地域がいろいろな種類の人々が集まって来ていたからであろう。

 


ガリラヤ湖

4度目のジーザスボート乗船。

今回のキャプテンはクリスチャンを乗せている間にメシアニックジュートなった人。

ここではマタイ14章を思い起こす。

ペテロはイエス様が湖上を歩かれているのを見て自分も歩いてみたいと思った。私達も主のようになりたいと思う。そしてペテロのように歩き始める。

主は「歩きたい」と言ったペテロに「おいで」と手を延ばされる。しかし、ペテロは風が吹いて恐くなり、沈みかける。その時、主は「信仰の薄いものよ」と言われても手を延ばしてペテロを助けて下さる。

主は多くの場合、私がしたいと言う事に反対されない。それが主の心にかなっているかどうか(多分罪や悪ではない限り)はわからないこともあるけれど「やってみなさい」とさせて下さる。そして失敗したときはきっと主の心にかなっていないという理由だけでなく、(そう言う時もあるかもしれないが)私の側に失敗する原因があるのかと思う。そしてそんな場合でも主は決してあきらめずに手を延ばされる。

 

私のイスラエルでの働きも似ているかもしれないと思う。

主が呼んで下さっているのは確かだが、今回までの5回のイスラエルでの働きは「主よ、していいですか?」と聞き、させて頂く。いつも私は本当に主が望んでおられるのか、それとも私がしたいだけなのではないかと悩む。しかし、それはあまり考える必要のないことなのではないか。主の働きには無駄な事はない。

イスラエルで琴を弾き、ユダヤの人々を慰め、癒しを流すことが神の望んでいることだと思うのなら、言い訳を考えず、恐れずにただ出て行くべきなのだと今は思う。

 


ゲッセマネの園、鶏鳴教会

園から続く道を歩いて行くとペテロが3度 イエスさまを知らないと言ったという場所に建つ鶏鳴教会に出る。ここは大祭司カヤパの庭でもあるかと思う。

園でイエス様は杯を飲み干される。ゲッセマネには3枚のレリーフが掲げられている。その中の1枚は苦しみ、血の汗を流され、父と対話されるイエス様を描いている。そこには助け手の御使いと飲み干すであろう杯も描かれている。

この杯についてスチーブンス栄子師は「中に何が入っていたか?」と問う。そして「中には肥が入っていたのです。あの肥だめの肥です」とい言う。何度かこの話は聞いた事があったが、今回ほどこの肥のすごさを感じた事はなかったように思う。私達の罪が肥だと栄子師は言うのだ。ただ罪と言ってしまうのとは違う重さがある。これをイエス様は飲み干された。

大祭司カヤパの庭から続く石の段。ここを綱かけられて兵隊達に引っ張られて行くイエス様のレリーフもあったが、その階段を登ってみるとイエス様の思いが伝わって来るような気がする。今までは感じた事がなかったのだが、イエス様はもうすでにゲッセマネの園で父と話されて杯を飲み干されたのだ。だからペテロが知らないと言った時もこの階段を登られた時もそしてその後牢獄に入れられた時ももうイエス様の心には苦しみがなかったのではないか。ある面、スッキリとした勝利がすでに主の中にはあったのではないか。そんな気がした。

もちろん、この後 十字架刑は待っているのだが。

私はこの時、なぜだかイエス様を知らないと言うペテロを見る主の目が見えたような気がする。単純な憐れむ目とは違う。希望をペテロに持って見ている目のように思う。主は失敗する私達を同じように見ておられるのではないか、そんな気がする。


園の墓

聖墳墓教会はどうしても宗教色が強い気がする。一般的にはこの場所にゴルゴタの丘があってそこで十字架にかかられ、そのあと、十字架を降ろされたイエス様の体を拭いたと言われる石盤もある。3種のキリスト教会がそれぞれの場所でミサを挙げてもいる。

しかし、その場所ではなく ここで本当に十字架にかかられ、そして葬られたという墓もあるのがここ園の墓だ。園と言われている通り、静かにそこここで祈り、礼拝できる場所が設けられて園の中央あたりに墓がある。ここが確かにイエス様が葬られたかどうかはわからないが、ニコデモのようなお金持ちのユダヤ人の墓である事は確かだそうだ。

そこは思った以上に広く、イエス様が安置されていただろうという所を見るとなぜか、きれいにたたまれたイエス様を包んでいたという麻布を思う。

そして主が甦られた事を実感する。

今も私達と共におられる主。とても安心する。気持ちのいい時だ。

 


メディアセントラル

現代のイスラエルを報道する人 アリエルさんの話

2010年に発行された「TIME」紙の表紙のコピーを見せて下さる。

そこにある文字は「WHY ISREL Doesn’t Care About Peace」イスラエルはなぜ平和を欲していないのか。

このたった数行のわずかな言葉で人の心を変えてしまう事ができるのだと彼は語る。

この事が象徴するように今のイスラエルは偏ったマスコミの報道の中にあるのだ。世界には様々な事件が同時に起こるが、最優先されるのはイスラエルを批判する報道であろう。

3D(新しい反ユダヤ主義)について時間をとって説明して下さった。

比較的バランスが取れていると思うメディアは「ウオールストリートジャーナル」「Foxニュース」「ディリークラブ」だそうだ。

彼は新聞が間違っていると思ったら抗議して下さいと言った。国連が5年間に出した非難決議91のうち、39がイスラエルに向けたものだそうだ。

どうしても一般的にはパレスチナよりの見方をしてしまうのが今のマスコミであろうとも言った。

 


まとめ

ハイファ大学での琴演奏がメインで行った今回のイスラエル。

もちろん主はこの琴演奏を用いて下さったと思う。行くにあたって用意したチームカレブのCDはほぼ予定通り、ユダヤの人々に手渡した。一番嬉しかったのは演奏後にわざわざきて下さったユダヤのおじいちゃまに渡す事ができた事だ。これで100%持って来た事の意味が果たされた。

そして何よりも一貫して主が語られた事は主との愛の関係だ。

復活の主がガリラヤ湖でペテロに現れ、そこで言われた「私を愛するか」は私に主が語られた事として受け取る事ができた。

愛するとは主を信頼する事。何か事がうまく運ばないと不安が先に立ち、主を疑い、信頼していない自分がいる。そんな私の愛を主はよくご存知でそれでも「愛するか」と聞いて下さった。主の愛に支えられてこれからもイスラエルに行こう。そして主の愛をユダヤの人々に流そう。「あなたは琴でイスラエルの民に慰めと癒しを流しなさい」そう主が言われるから。

2012年4月12日?5月2日