ユダヤ人がユダヤの習慣を守る事が尊重されるべき理由

教会が海外宣教に出て行くにしたがって、「福音の文化脈化」であるとか「文化のあがない」ということの大切さを意識するようになって来ました。その流れを決定的にしたのは20世紀に入ってからユダヤ人宣教が本格的に始まったことにあります。

それまでの宣教は、ある意味で文化破壊でした。たしかに大切なのは神の国であり、救いですので、たとえ文化を破壊したとしても究極的に言うなら教会が前進すればそれでいいという考えでした。

20世紀に入るまで、そういった考え方でも教会はなんとかうまくやっていましたが、ユダヤ人に宣教するようになってから、状況がかわってしまいました。

たとえば、ユダヤ人はコシェルといって食物規定を持っています。もちろんこれを守るかどうかについては救いとは関係ありません。ですから宣教師はこの文化を破壊しようと思いましたが、ふと思いました。「この文化、習慣はどこから来るのだろうか?」。もちろんそれは神から出たものです。

そして聖書には聖書の言葉は廃れる事はないと書いています。

神から出ていない人間的な文化であってもそれが尊重されるのであるなら、神が与えたユダヤ人の文化が尊重されるのは当然のことなのです。