パウロは十二使徒の一人ではない。(s)
ご存知のようにマッテヤがユダに代わる12使徒として補充されました。この出来事には論議があります。
なぜなら使徒が12人であるなら、十二人目の使徒にふさわしいのはパウロに見えるからです。その上マッテヤが選ばれたのは、聖霊降臨前、すなわち教会誕生前のちょっとアイドリングの時期であり、言いようによってはやることが無いので、自分達の力でくじで使徒を選んだともいえるからです。
しかし、マッテヤが正式な十二使徒であり、パウロがそうではないことを知ることは実は私達にとって重要なことなのです。
(1)もし、マッテヤ選びを疑うなら、私達は聖書の中に「例外」という言葉を差し込むことになります。もちろん、聖書には人の失敗も正直に書いているわけですら「それは間違いだった」という解釈も成り立ちますが、聖書は100%神の御言葉といいながら例外をあまり作らないほうがよいでしょう。
(2)神はこの地上におけるわれわれの決断を尊重される。十一使徒がマッテヤを選んだのであるならそうであるべきです。
(3)使徒の意味が「遣わされた者」であり、次に遣わす連鎖が起こるべきであるのなら、使徒職の継承者が必要です。パウロが手紙を書いたのもまさにそれが理由です。パウロはこれから遣わされる使徒たちの代表なのです。
(4) パウロはイエスと地上での歩みを共にしていない。
(5)パウロはキリストの復活の証人ではない。
パウロは現代にまで続く新約における使徒の活動の最初の頭石であり、すなわち、パウロは月足らずで生れたような(1コリント15:8-10) 私達普通の人たちの模範なのです。