使徒的覆いが聖徒運動の成功の鍵 (12/09/28)

聖徒運動の代表的なムーブメントのひとつは「セルグループ」です。

今日教会のセル化の必要性が叫ばれて久しいですが、それに賛同する教会であってもそれはあまり進んでおりません。いやむしろ、セルをやめてしまう教会もあるのです。

セルチャーチとして有名だったある教会の礼拝に17年前出席したことがありました。その教会に3年ほど前から集っているある方と最近話をしたのですが、その教会はもう「セルグループ」をやっていないと聞かされた時にはすこし驚きました。

そう、教会のセル化はそれほど難しいものです。それはどうしてでしょうか。今日、多くの人が何らかの形で傷を受けており、傷を受けたもの同士がただ集まっているだけでは、どれだけその人たちが神を愛して神に従いたいと願っていてもうまくいかないのは当然です。


ですからセルグループの成功の鍵は、心の癒しや解放のミニストリーと同時に、それを見守る使徒的権威を持ったリーダーが必要です。

すなわちただ、「愛すればいい」「赦すべきだ」「集うのをやめてはならない」というような御言葉に立った正論だけでなく時には集まるのを中断させたり、ある人に対して一時的に集いに来なくてもいいと告げたりなどといったような調整です。

もちろん、このような方法でアドバイスするには、「自分が感じているこのいやな思いは特定の人のせいではなく自分が受けた過去の傷に反応しているからである。」というような原則と理解を共有している土壌と教えがあっての話ですが。

そのように、聖徒運動の成功の秘訣は、ただの放牧ではなく使徒的秩序と守りの中で効果的になされていくのです。


今回の使徒的覆いは「閉ざすことによる調整」という記事にあるように、閉ざすことについてを書きましたが生徒運動にどうして使徒が必要なのかには他にもさまざまな理由があります。時間があればその記事も書きたいと思います。