「信仰の反対語はお金である」(13/03/12)

この見出しに対して、ある程度納得はできるが「信仰の正反対がお金である」とは言い切れないのではないかと思われるかもしれません。しかし、信仰とは何か?そして通貨とは何か?を知るならより納得していいただけると思います。

ヘブル11:1)を原語で見るなら「信仰とは実体である」と書いています。すなわち、信仰とは目に見えず触ることもできないが、そこの存在する実体現物的な存在なのです。そして、そこには無限の力が秘められています。

その信仰を創造する源は「神の御言葉」と「聖霊」なのです。


それとは逆に

お金の歴史」(AD会員のみ)という記事にあるように、お金は目で見えるし触ることもでいるが、実際には存在しないもので、各国政府がそれに対して「値打ちがある」と言っているので値打ちがあるだけで、実際には存在しないのです。また、お金の切れ目が縁の切れ目と言われるように、その力は有限なのです。

そして、各国が通貨が創造する源は「借金」なのです。

参考記事:通貨そのものが詐欺である (AD会員のみ)


そのように、あらゆる意味において信仰とお金は正反対の存在なのです。