預言者は解釈者ではない (15/02/16)



アガボは預言者でしたが語るだけで解釈は使徒にゆだねました。

使徒の働き21:8〜15で預言者アガボが「パウロが捕らえられる」と預言しました。それを聞いた周りの人たちは、パウロが捕らえられないようにとエルサレムに上らないように頼みました。
しかし使徒であるパウロは神の計画の全体像を知っていた故に「それは間違った解釈である」という旨を語りました。

賢明なのは預言者アガボでした。彼は自分では語っていながらそれに対して解釈を付け加えようとはせず沈黙を守りました。
預言者に必要なのは自分の立場をわきまえることです。もちろん、絶対解釈してはいけないわけではありませんし、使徒的な預言者も大勢いますから、解釈をしても良いのですが、ただし、自分が見ているものは一部分であることを知る謙虚さも必要です。

そしてまた、使徒的覆いの元でミニストリーを展開していくべきなのです。

以前、シンディー・ジェイコブス師がオーストラリアでミニストリーをした際に、彼女は「先住民族のアボリジニに対する罪を悔い改める必要がある。」と語りました。
しかし、そこでヒルソング教会牧師のブライアン・ヒューストン師が立ち上がり「それはもう済んだことです。必要ありません。」と語りました。そしてシンディー・ジェイコブスはそれで気を悪くすること無く、自分のミニストリーを続けたのです。それは預言者として正しい態度でした。

日本だったら、偉い先生に「日本の戦争のときの罪について謝罪すべし」と言われたら、何十回謝罪した事柄であっても謝罪してしまったことでしょう。