旧約の預言者と新約の預言者の違い (15/02/16)


今日における預言運動が正しく理解されていない大きな理由のひとつは旧約と新約の預言者の違いを区別していないことにあります。用語としては同じですがその両者には以下の2つの大きな違いがあります。

1)新約の預言者は聖霊を宿しているが旧約はそうではない。
2)新約の預言者は間違う可能性がある。

この違いを見て、ちょっと奇妙に見えるかもしれません。なぜなら聖霊を宿している新約の預言者は間違う可能性があり、聖霊を持たない旧約の預言者は基本的に間違いのない預言だからです。


このことを理解する鍵は以下の4つです。

1)旧約は神の霊が臨むときに神と直接つながるがゆえ完璧であるが、新約は内住の御霊によりキリストとつながりミニストリーする。

2)旧約は単独の預言者、新約はチームミニストリーであるがゆえ新約時代に一人ですべてを完結させないようにしている。つまり不完全である。 (エペソ4:11)(第1コリント12:27-28)

3) 新約では常にアクティベーションの中にあり常に途上である。それゆえ不完全な人がミニストリーをすることが容認されている。

4)へりくだらせるために神が間違えさせることもあるので完璧な預言はありえない。


少ない説明なのですべてを理解する事は難しいでしょうから(3)と(4)について解説いたします。

(3)の理由の解説

旧約時代において神から任命されれば、その人の人格的成熟などとは関係なく誰でもすぐに預言者や士師とされ、神の力を発揮できました。

しかし、新約時代の聖霊の賜物は求めるすべての人に程度の差こそあれ与えられます。(第1コリント14:12)(ルカ11:9-13)。つまり、完璧で無ければ預言できないというわけではありません。「すべての人が学びの途上」(第1コリント14:29)であり、アクティベーション(活性化)が必要なのです。

活性化とはそのままだと役に立たない、あるいは機能が制限されるけれど活性化することによって最大限の力を発揮できるというものです。

新約の時代は、より多くの人(すべての人)が預言をすることができますが、すべての人が途上であり、練習や訓練が必要だということです。

そして間違えることが許容されます。旧約の預言者は基本的には聖霊が上にとどまってはいましたが(第2列王記2:15)、宿ってはおりませんでした(ヨハネ7:39)。(新約の型となった人を除いては)。御霊を持たない旧約の預言者の方が、御霊を宿す新約の預言者よりも正確に預言するというのは不思議に見えるかもしれません。

しかし、新約ではキリストの覆いの下でミニストリーをするゆえに(第1テモテ2:5)間違いが容認されるのです。

(4)の理由の解説

第1コリント14:29)に「吟味しなさい」と書いています。旧約聖書にはそんなことは書いていません。なぜなら新約の預言者は間違う可能性があるからです。


ですから、今日の預言者、預言的賜物を持っている人のどちらも完璧な預言をする人はいないということを理解する必要があります。

そのことを理解し、謙虚にミニストリーをする必要があるのです。


参考資料 (ヨハネ7:37〜39)旧約の預言者が聖霊を宿していなかったことの根拠