ユダヤ人の帰還を通じて外国人が 祭司・レビ人とされる(15/02/20)


「わたしは、彼らのわざと、思い計りとを知っている。わたしは、すべての国々と種族とを集めに来る。彼らは来て、わたしの栄光を見る。(中略)
彼らは、すべての国々から、あなたがたの同胞をみな、主への贈り物として、馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わたしの聖なる山、エルサレムに連れて来る。」と主は仰せられる。「それはちょうど、イスラエル人がささげ物をきよい器に入れて主の宮に携えて来るのと同じである。 わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする。」と主は仰せられる。( イザヤ66章18節〜21節)


イザヤ66章の御言葉は驚くべきメッセージを含んでいます。イスラエルの民をエルサレムに連れてくる外国人が「祭司、レビ人」となると書かれているからです。

イザヤ書が書かれた当時も「改宗者」や「主を敬うもの」と呼ばれるイスラエルの神を信じる外国人は大勢いました。しかし彼らは決して祭司になることは出来ません。しかし、ここで外国人に対して「祭司となる」とはっきりと記されているのは驚くべき事です。

18節に「すべての国々と種族が集めに来る」という言葉がありますが、それはゼカリア書14章にあるような「仮庵の祭り」へとつながっており、イザヤ書66章のこれらの御言葉は外国人が活躍するさまざまな要素が含まれていることを意味します。

第三の波の「ダビデの幕屋の回復」に関わる人の中には第一の波であるクリスチャン・シオニズムの事を良く知らない人がいるかもしれません。しかし「外国人が祭司、レビ人とされる」というキーワードを通じて、それら二つの波がひとつとされていくのです。