BFP編集部 2002年9月

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「置換神学」(置き換え神学)という言葉を聞かれたことがありますか。教会史辞典を見ても、この神学に関する系統立った説明は載っていません。耳慣れない言葉ですが、世界全体のキリスト教会に広く普及しており、私たちが教会で教えられているさまざまな教義の土台の一つとなっています。置換神学には古い歴史があり、初代教会時代から教えられていました。しかし悲しいことに、この神学こそが、実は1900年間近くも教会に根強く存在してきた「クリスチャンによる反ユダヤ主義」が育つ土壌を生み出してきたのです。なぜそんなことになったのか。今月から2回にわたって学んでまいりましよう。

置換神学とは?

置換神学は、初代教会のリーダーが、ユダヤ人から異邦人へと交代したすぐ後に根を下ろし始めました。では具体的に、置換神学とはどのような内容なのでしょう。

  1. 「教会」が「イスラエル」の立場を引き継いだ―イスラエルがイエスをメシアとして受け入れなかった罪のために、聖書の中でイスラエル(ユダヤ人とその国土)が占めていた位置は、神によって取り去られ、代わりにキリスト教会がその地位を引き継いだ。
  2. ユダヤ人はもう「選びの民」ではない―彼らは、選民としての特別な地位を失った。ゆえに、イギリス人やスペイン人、アフリカ人などといった、他の異邦人と全く変わらない存在である。
  3. 聖書に書かれている「イスラエル」は、教会を指している―使徒行伝2章のペンテコステの出来事以来、聖書の「イスラエル」は、教会を指す言葉となった。聖霊の働きを受け、それによって内面的に変えられた者、つまり教会だけが真のイスラエル人である。
  4. イスラエルへの約束は、すべて教会に与えられた―聖書でイスラエルに与えられている約束、契約、そして祝福は、彼らが選民としての立場を失うと同時に、ユダヤ人から取り去られ、今や彼らに取って代わった教会に与えられている。一方、ユダヤ人はキリストを拒絶した結果、聖書のすべての呪いを負う者となった。

置換神学の根拠とは?

以上の内容を主張した神学者は、どのみことばを根拠にそれを論証したのでしょうか。ここで彼らのいくつかの主張を取り上げ、それに対する私の反論を明示します。

置換神学者の主張その1

「アブラハムの息子になる」とは、イエス・キリストを信じる者になることである。

【根拠となるみことば】―「もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。」(ガラテヤ3:29)

【説明】このみことばによれば、「アブラハムの息子である」ということは、単に霊的意味合いにおけるものであり、肉的な血統は無関係である。アブラハムの血を引いていなくても、キリストを信じることによって、異邦人もまた、霊的な意味でアブラハムの子孫となる。逆に言えば、イエスを受け入れないユダヤ人は、アブラハムの血を引いていても、子孫とは言えない。

【私の反論】これは、異邦人をアブラハム契約に加えんとする、素晴らしい約束です。しかし、このみことばのどこに、肉によるアブラハムの子孫(ユダヤ人)を、契約、約束、そして祝福から除外すると書かれているのでしょうか。この節は、霊的にアブラハムの子孫とされた私たち異邦人クリスチャンを、神がすでにユダヤ人と結んでおられた約束のうちに、ともに加えてくださるという内容です。

置換神学者の主張その2

神がアブラハムと結ばれた契約の中に、カナン(約束の地)を与えるという約束があるが、これは、全世界の救済という神の遠大なご計画における、単なる手始めにすぎない。真の意味での約束の地とは、カナン(イスラエル)ではなく、全世界を指す。

【根拠となるみことば】―「というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。」(ローマ4:13)

【説明】「キリストヘの信仰によって、教会は全世界を受け継ぐ者となった」と、神によって宣言されている。教会がこの権利を相続したので、アブラハム契約による相続人の資格は、ユダヤ人から取り去られた。

【私の反論】このみことばのどこに、「アブラハムの肉の子孫・ユダヤ人を除外する」と書かれているのでしょうか。ここでは、律法による正しさを追求しても、彼らは世界の相続者となることはできず、信仰によってのみそれが獲得できると語っているのです。これはユダヤ人だけでなく、クリスチャンにも言えることです。


置換神学者の主張その3

イスラエルは、やがて世界中の民族が一つになって作られる、「未来の教会のひな形」でしかなかった。

【根拠となるみことば】―「日の出る所から、その沈む所まで、わたしの名は諸国の民の間であがめられ、すべての場所で、わたしの名のために、きよいささげ物がささげられ、香がたかれる。わたしの名が諸国の民の間であがめられているからだ。―万軍の主は仰せられる。―」(マラキ1:11)

【説明】イエス以前、神を賛美し、礼拝し、棒げ物が捧げられるのは、エルサレムの神殿だけと限られていたが、イエス以降、世界中で神に礼拝を捧げることが可能となった。またイスラエルの神は、もはやイスラエルだけでなく、諸国民の間であがめられる神となった。教会の中で神の御名があがめられている今、エルサレムの神殿も、神に仕えるために選び出されたユダヤ人も、その役割を終えた。つまり彼らは、未来の教会形成のひな形となるために選び出されたにすぎない。

【私の反論】これはすばらしいみことばです。ユダヤ人とイスラエルが、「国々の光」となり、神のみことばが世界中あまねく伝えられるという、彼らの召しの一つが成就した状態を示しています。それが成就したからといって、ここからイスラエルがその役割を終えた、という内容を読み取ることはできません。

置換神学者の主張その4

「ユダヤ人は、霊的特権の数々を失い、ほかの人々に取って代わられる」とイエスご自身がおっしゃった。

【根拠となるみことば】―「だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。」(マタイ21:43)

【説明】これはイエスがユダヤ人に対しておっしゃったことばであり、ユダヤ人が霊的特権を失い、それが別の国民に与えられるとはっきり明言されている。

【私の反論】ここでイエスが「あなたがた」と名指ししているのは、人々を指導する立場にありながら、彼をメシアとして受け入れず、民にも彼を拒絶するように勧めた祭司やパリサイ人です。このみことばの前後を読めば、それがよくわかります。ですから、決してユダヤ人やイスラエルの国全体を指して語られたのではありません。


置換神学者の主張その5

旧約聖書でイスラエルに対して結ばれた約束は、すべて教会に与えられ、イエス・キリストをとおして成就される。

【根拠となるみことば】―「神の約束はことごとく、この方において『しかり。』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン。』と言い、神に栄光を帰するのです。」(第2コリント1:20)

【説明】このみことばのとおり、イエス・キリストをとおしてすべての約束が成就される。イスラエルに対する約束も、今はキリスト教会のものである。これらの約束は、現実的に成就されるものではなく、「霊的・象徴的に成り立つ」と理解するべきである。イスラエル、エルサレム、シオン、そして神殿など、神の預言に出てくる現実的な内容も、教会をとおして霊的に成就されるのである。

【私の反論】イスラエルについて言及している新約聖書の箇所が、はっきりと教会ではなく、イスラエルを指している事実を後ほど取り上げます。ですから、旧約で神がイスラエルとユダヤ人にされた約束が、比喩的であるという解釈は間違いであり、それらの約束が、今や教会だけに有効であるというのも間違いです。これらの約束と契約は、字義どおりであり、その多くは永遠のものです。そして、私たちクリスチャンは、救いの恵みの一部として、そこに参加することが許されたのであって、排除されたイスラエルになり代わったのではありません。

新約には、イスラエルと教会との関係について、「台木に接がれた」(ローマ11::24)、「遠かった者が近い者とされた」(エペソ2:13)、「信仰によるアブラハムの子孫」(ローマ4:16)、そして、「異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをした」(ローマ15:27)と書かれています。これらの箇所には、「アブラハム契約の相続人である肉のイスラエルから、霊のイスラエルに置き換えられた」とは書かれていません。異邦人クリスチャンは、神がイスラエルに与えられた約束の中に加えられたのであって、神はイスラエルに対するご自分の約束を破棄してはおられません。(ローマ11:29)