クリスチャンホームの建て上げ 「子供は親と神様の区別がついていない」


 

クリスチャンホームについてのさまざまな教えを理解する上で重要な原理、原則というものは、「子どもにとって親と神様は同じような存在である」ということです。

親の内に神を見るというか・・
子どもによってその程度に違いはあるでしょうが、・・・とにかく、混同があります。
その傾向は特にクリスチャンホームにおいて見られます。
ですからクリスチャンホームにおいて子どもは普通以上に親を敬ったり、逆に親につまずき、傷つくことが起こってきます。

ある一定の時期まで、子どもは親を天才であり、全能者であると思っています。

私の子どもが小さかったときに、ある日、壊れたおもちゃを直してほしいと言って頼んで来ました。
私が、これはできないといったらショックを受けていました。
全能者だと思っていたからです。


ファミリーフォーラムのジェームズドブソン博士の記事にこのようなことが書いてあります。

ドブソン博士が外出中に、母親が何気なく2歳の息子に「食事の前の祈りをしてみる?」と聞いたところ、彼はちょっと戸惑いましたが、小さな手を組んで、頭を垂れ、こう祈ったのです。
「パパ、だいちゅき、アーメン」   と、大まじめに言ったんです。

2歳の息子が父親を「神さまあつかい」したことにはかなりショックだったと書いてあります。
ドブソン博士が帰宅してからその話を妻から聞いたのですが、大変当惑し、 父親の責任の重さを考えると、とても自信がなく、父親をやめたいくらいであったそうです。


そのようなわけで、ですから、地上の父親に対してつまずいた人は、父なる神を知るのが難しいのです。
父のつまずくことは神様に躓くことだからです。

そしてこのつまづきは、未信者の場合よりもクリスチャンホームのほうがその傾向がさらに大きいのです。

子どもが親と神様を混同するというのは、単に区別がつかないというだけだったら、子どもゆえの未熟さゆえに認識力がないだけなのですが、実際には結構な年齢になってもひきづっているようです。


■ 信仰継承を促進する最大の方法は親子の関係を悪くさせないこと

そのような原則を理解するなら、どうすればよいのか、あるいはどのようなことをしてはいけないのかがわかってくることでしょう。

親が子どもに願うことは何でしょうか?
子どもが社会的なルールを身につけたり、勉強に励んだりすることは全ての親が願うことですが、 クリスチャンホームの親達の願いは、「子どもが神を知るようになること。」 それに尽きるでしょう。

ということは、ある意味、親が子どもに対して与える教会生活や霊的な活動というものは全て、「親が見ていなくても自分で聖書を読み、祈り、献金をする、福音を伝える」ことができるようにすることです。

しかし、多くの親が犯しがちな過ちは、神とつなげるのをあせるあまり、親子の関係を悪くしてしまうことです。
一見指導しているように見えても。実際には親子の関係を悪くしているのです。

親子の関係にみぞがっ入るときに、神を知ることから遠ざけられてしまうのです。
神様に対して悪いイメージを抱いてしまうのです。

もし、聖書を教えたり、献金を教えたり、クリスチャンとしてどのように振舞うかを教えることによって親子の関係を悪くしてしまうなら、それはしないほうがよいのです。
まず、親につなげましょう。
親と関係がよければ、神と関係を持つようになるための近道なのです。


私の次女が6歳ぐらいの時の出来事です。

私は「ユダはどんなことをした人ですか?」娘に尋ねました。

当然私は、ユダがイエスを裏切ったという答えを期待していたのですが、娘がわからないと答えました。

わからないというのは、裏切ったことは知っているけれど、父が尋ねているのは「ユダがどんな良いことをしたのか?」とたずねていると思ったので、知らないと答えたのです。

しかし、私はそれを聞いて・・・
今だったらそんなことは言わないし、その時もどうしてそんなことを言ったのかわからないのですが。

「そんなことも知らないのか。クリスチャンじゃない人だって知っているぞ。」とってしまいました。
そうしたら娘は泣き出してしまいました。

私はいったい何をしたのでしょうか?
私がしようとしたのは、娘が神様につながり、神を知ることができるようにすることでした。
聖書の知識を身に付けさせ、御言葉に根ざした生活をすることです。
そのために、ユダがどんな人間で、彼のようにならないようにするためにどうすればよいかを教えたかったのです。

しかし、実際に私がしてしまったことは、親子の関係を悪くしてしまったのです。
それはすなわち、神様との関係を悪くしてしまったのです。

つまり、私は良かれと思ってしたことが、実はまったく逆の行動をしてしまったのです。


このような過ちは、クリスチャンホームの中でよく見られることです。
祈ることを教えます。
聖書の知識を与えます。
献金させます。
賛美させます。
それらは良いことです。良い動機で行っていることです。
しかし、親子の関係に分裂を与えてしまう結果となることが多くみられるのです。

聖書に次のような言葉がります。
マタイ
(改)23:9) あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。

この言葉の意味はどういうことでしょうか?

自分の父親を父と呼んではいけない。という意味ではありません。そうであるなら、言葉がその意味を成さなくなってしまいます。
地上の父親は天の父を代表しているだけであることを知りなさいという意味です。
父親はただ子どもを預かっているだけなのですよ。
また、父親の振る舞いが悪いなら、それは神のイメージを傷つけることになるんだよ。という意味です。

父親と関係を築くことは神との関係を築くことの手助けなのです。
逆に親子の関係を悪くすることは神との関係を悪くすることなのです。


念のために言いますが、これは後で書きますが、子供にスパンクをすることについて言っているのではありません。それは関係を悪くすることではありませんよ。

スパンクの創始者はイエスキリストだからです。

黙示録 3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。